This room is for the exhibision of Japanese civil aircrafts during the wars.
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Mitsubishi MC20 airliner / 1939

戦前の民間航空史の最後を飾る国産旅客機です。とは言え、時勢を反映して本機の原型機は陸軍航空隊の新鋭重爆として三菱が開発した97式重爆撃機。爆弾槽が不要で客室スペースを広く確保する必要から、翼の位置が胴体中ほどにある軍用型と異なり、低翼形式となっているため、ずいぶん雰囲気が違います。朝日新聞社でも採用され、"空飛ぶ編集室"と呼ばれて戦時報道などに活躍しました。[Planet Models /resin]


DeHavilland Pussmoth / 1931

戦前の民間航空史を語る上でかかせないのが、新聞社で使われた報道機。ファクスもインターネットもない時代に特ダネ写真を他社に先んじて掲載するためには、航空機による写真輸送がもっとも有効な手段でした。熾烈な特ダネ合戦に勝利するため、新聞各社はより優秀な航空機を入手しようと地道をあげることになります。朝日新聞社の眼鏡に適い採用された英国製の小型機が、このプスモス。一見華奢な小型機ですが、比較的高速で扱いやすく、航続距離も長いことから評価の高かった機体です。[Omega Models /resin]


Mitsubishi MS-1 / 1936

日本の戦前の民間機というのは、模型の世界ではかなり地味な分野だと思いますが、本機などはその中でもまたとびきり地味なアイテムではないかと思います。原型は90式機上作業練習機、"キサレン"の愛称で長期に亘って旧海軍に愛用された練習機です。同機は一部が民間に払い下げられ、近距離旅客機として使われました。国産のジュピターエンジンを搭載したことで、機首部の雰囲気が少し違いますが、それ以外はほとんど実機も改造を加えられていません。[AZ Models]


Beechcraft 17 "Staggerwing"/1936

トラベルエア社から独立したウォルター・ビーチが設立したBeechcraft社の出世作とも言って良いこの17型は、空気力学上は禁じ手とされたスタガーウィング(逆食い違い翼)配置を持つことが最大の特徴。悪性の失速を引き起こしやすい上翼を下翼よりも後退させたレイアウトを敢えて採用することで、複葉機ながら操縦者に素晴らしい視界を与え、当時の各国現役戦闘機全てに勝る高速性能を実現しました。日本でも立川飛行機がライセンス生産しましたが、機構が複雑でメンテが難しく評判は芳しくなかったようです。[AZ Models]


Nieuport 24C /1924

フランスが航空先進国として自他ともに認めていた1920年代、航空の萌芽期であった日本では陸軍が中心となって当時のフランス製飛行機の輸入に努めました。陸軍が甲式3型戦として採用した本機は、第一線戦闘機としての役割を終えた後、毎日新聞に払い下げられ、高速報道機として再デヴューしたのです。[Roseplane / resin]


Nippi "Pou du Ciel" NH-1 /1936

ホームビルト機の草分け、フランス製の"空飛ぶしらみ(Pou du Ciel)"です。戦前の日本飛行機がライセンス生産し、朝日新聞社が購入。こちらは"ひばり"という可愛らしい名前をもらいました。素人でも操縦できる、との触れ込みでしたが、その実、安定性に難があって事故も続き、短期間しか使用されませんでしたが、そのユニークな姿は印象的です。[Aeroclub]


Seversky 2PA "Shiokaze" / 1939

仮想敵国アメリカの航空技術研究のため海軍が輸入したセバスキー社の戦闘機。寸詰まりの形態から想像出来るとおり、縦安定が悪く、高速はとりえだが運動性は日本人の繊細さには全くなじまぬ劣悪さ、ということで早々に民間に払い下げられました。引き受けた朝日新聞社では、高速報道機として使用しましたが、華々しい活躍の記録は残っておらず、パイロットにも好評とは言えなかったようです。[FE Resin/resin]


Supermarine Southampton "Kirin-Go" / 1936

戦前に麒麟麦酒がスポンサーとなって民間定期航空路線で活躍した飛行艇。もともとは1927年に日本海軍が研究用として、ただ1機英国から購入した当時の最新鋭飛行艇でした。海軍から民間に払い下げられ、日本飛行機で民間旅客機としての改造を施された本機は、スポンサーのロゴマークを機首に描き"麒麟号"と命名され、大阪と別府を結ぶ定期空路に就航。当時としては豪華なインテリアもあって一躍全国的な人気を博しました。 [Contrail / vacuform]


Nakajima Dai-11 Giyu-go / 1934

日本海軍の90式水偵の試作に応じて、中島が開発した純国産の水上機。残念ながら性能面で優越した米国ヴォート社のコルセア水偵に正式水偵の座は奪われ、本機は民間に払い下げられました。民間では羽田ー下田ー清水の間を運航していた、という、いわゆる日本におけるコミューター航空機のはしりのような存在です。パイロットの他に乗客席はわずか2名分。果たして営業的に成り立ったのでしょうか? [Choroszy / resin]


Heinkel He116 / 1938

戦前のルフトハンザが、アジアへの長距離航空路に就航させるため、ハインケル社に開発を依頼した輸送機。ルートとなるパミール高原を越えるため、高高度を飛べる能力が要求された本機は、ヒルト社が開発中の新型エンジンを搭載する予定でしたが、肝心のエンジン開発は失敗。やむなくすでに実用となっていたヒルト社の小馬力エンジン4基を積む形に設計変更されました。機体の大きさの割りに4発機となっているのは、そうした理由からです。製作された内の2機は日本が購入し、乃木号、東郷号と、日露戦争の英雄の名前を付けられ、日本満州間の郵便飛行に従事しました。 [Classic / resin]


Breguet19 "Kochikaze" /1925

大航空時代の幕開けとなった1920年代に朝日新聞社が企画を発表した欧州訪問飛行。フランス製のブレゲー19型2機で、シベリア経由、パリ・ローマを目指す計画は日本国民の熱狂的な支持を受け、2機はそれぞれ、東風(こちかぜ)、初風と名づけられます。7月25日に代々木練兵場を飛び立った両機は、およそ3ヶ月をかけて目的地のローマに到着。日本人による初の欧州訪問飛行を見事に成功させました。この冒険に使われたブレゲー19型は、当時の航空先進国フランスが生んだ傑作機で、信頼性の高いイスパノエンジンを搭載した頑丈な機体構造は、同時代の他機に比べて少なくとも5年は進んでいたのではないかと思われます。 [Hitkit]


Breda33 /1932

現代にも通じる軽快でクリーンなフォルムのスポーツ機。戦前の毎日新聞がライバル朝日新聞との熾烈な特ダネ競争に打ち勝とうと導入した、初めてのイタリア製航空機です。イタリア有数の重工メーカーであったブレダ社はあらゆる種類の兵器を製造していますが、航空機に関しても多種多様な機種を設計生産しました。しかし不思議と、軍用機としての成功作は皆無で、民間機としての本機が航空部門では最大のヒット作かもしれません。直線的なボディと楕円形の優雅な翼形を組み合わせたバランスの取れた美しさが、この機体の特徴です。 [Dujin /resin]


Lockheed Altair / 1935

ヴェガ(織女星)、シリウス(犬狼星)に続くロッキード社の星シリーズ第3弾が、このアルテア(牽牛星) 。基本的には前作シリウスに引込脚を採用した発展型ですが、それまでに培われたロッキード機の高性能に関する評判からヒットし、世界中に販売されました。日本では毎日新聞社が報道機として購入し、その高速性能でライバル朝日を凌駕する活躍を示しました。東京からマニラへの親善飛行は本機のハイライトのひとつです。 [LF Models /resin]


SAML Dornier Wal /1926

一世を風靡したドルニエ博士の飛行艇は、世界各国でライセンス生産されましたが、ライセンスを買ったイタリアのSAML社は客室と操縦席のレイアウトに手を加えたため、随分オリジナルとは違った印象の機体を作り上げました。戦前の川崎航空機が購入して、その関係会社であった日本航空(現在のJALとは別会社)の瀬戸内航路に就航させたのが、このSAML製のWal飛行艇です。客席を機首に配置し、操縦席を後退させたため、機首上面が非常にすっきりとしたシルエットとなり、愛称のWal(クジラ)のイメージがぴったりの機体です。 [Airmodel /vacuform (conv.)]


Dornier Merkur / 1928

1920年代に全金属応力外皮という、その後の航空技術史の方向性を決定付けた機体構造を編み出したドイツ人設計者達の中で最も有名だったのがクラウディウス・ドルニエ博士です。そのドルニエ博士の設計になるコメット旅客機に改良を加えたのが、このメルクール(水星または商業の神)。
日本でも1機が輸入され、朝日新聞社で長く使われたあと、陸軍に徴用され病院機として前線で活躍しました。その後東京の日比谷公園に終戦まで公開展示されていたようですが、終戦時に惜しくも焼却処分されました。おそらく本家ドイツにも現存する機体は残っていないことを思うと残念な話です。
[Luedmann /resin]


ki11Ki-11 Communication Plane / 1935

陸軍の次期戦闘機として、中島飛行機が開発した野心作。明らかにボーイングP26の影響を受けた単葉形式で、胴体と固定脚からのワイヤで主翼を支えるスタイルは、従来の複葉戦闘機を凌駕する高速性能を実現しました。反面、これまでの格闘性能重視の思想に凝り固まった陸軍のパイロットにとっては、あまりにも革新的過ぎて違和感を感じさせたのでしょう。結局陸軍は川崎の提出した複葉形式を、95式戦闘機として採用。不合格になった本機は民間に払い下げ。その高速性能に目をつけた朝日新聞社が、報道機として活用することになったのです。 [Chroszy /resin]


Fokker Super Universal / 1929

戦前の民間航空を代表するノスタルジア溢れる旅客機です。日本航空が初めて、東京-大阪-福岡路線を開設した昭和4年に使用機材として導入したのが、この飛行機。主翼は全木製、胴体は鋼管骨組みに羽布張りという古典的な構造ですが、どんなエンジンでも換装可能な柔軟な設計と、6人収容のキャビンによって、商業航空史上最初のベストセラー旅客機となりました。続いて発表となった3発エンジン型と共に、世界中で使用され、フォッカーの名は一時、旅客機の代名詞になったのです。 [VLE Models /vacuform (conv.)]


R3Ishikawashima R3 / 1931

民間航空機の分野というと、まだ新聞社の報道機か、ようやく芽生えたばかりの少数機による定期旅客事業に限られていた当時の日本で、自社開発でこうした軽飛行機の分野を開拓したメーカーの心意気が伝わってきます。合計で5機が製造されたようですが、その中の一機は日本学生航空連盟の所有となり、なんと欧州までの親善飛行を決行。"青年日本号"という当時ならではのセンスのネーミングを与えられ、ローマまで95日かけて無事に到達した、という快記録を作りました。 [Choroszy /resin]


KokenKoken Long-range Research Aircraft / 1938

欧米の水準にようやく追いついた日本航空技術力を世界にアピールした機体。1938年5月に木更津を飛び立った本機は、周回コースを2日半に亘って飛行を続け、フランスのブレリオ110機が持っていた世界記録を破る、11,651kmのレコードをうちたてました。現在に至るまで、日本が作った航空分野での世界記録はこれだけ。零戦並みとはいかなくても、もっと有名になっても不思議ではない機体ですが。 [Mechadol /resin]


dc2Douglas DC2 / 1934

出世作、ワールドクルーザーの世界一周で勝ち得た名声を、今ひとつ生かしきれていなかったダグラス社が、世界最大の旅客機メーカーとして一大飛躍するきっかけとなった、名機DC3の原型となった機体。全金属性低翼単葉、居住性の高いモノコック胴体・信頼性に溢れた大馬力エンジン。飛躍的な低コストと高い安全性を保証した本機の出現によって、商業航空は限りなく一般大衆のものとなっていったのです。モデルは、戦前の日本航空で使われた新高号。 [MPM]


kisaragiTachikawa Kisaragi / 1939

もともとは陸軍の戦術偵察機として開発された機体を、朝日新聞社が報道機として採用し、"きさらぎ号"と命名したのが本機。当時、新聞各社は、スクープを多社に先駆けて報道するための熾烈な競争を繰り広げており、航空機材の優劣がもろに結果となって顕われる所から、先進国の高価な新鋭機を導入する傾向が強かったのですが、朝日だけは、国産機路線を頑なに守っていました。秘密主義の権化である軍部、特に陸軍も、こうした朝日の方針を高く評価して、軍用機の民間転用を許していたようです。 [Fujimi]


hansa Hansa Brandenburg Sea Plane / 1922

第一次大戦が終わってわが帝国海軍も本格的な海軍航空隊の編成を考えますが、各国の水上偵察機を採用のために色々調べてみたら、なかなか要求仕様に合う機種がなく、結局敗戦国ドイツの本機が最も優れていた、ということでライセンス生産されたエピソードを持っています。海軍退役後も民間に払い下げられて、魚群探索などの用途に使われたとか。モデルはその民間型です。 [Toko (conv.)]


taifun Messerschmitt Bf108 Taifun / 1936

新生ドイツ空軍の鋭利な飛剣、Bf109戦闘機の母体となったメッサーシュミット教授の出世作。教授の性格を彷彿とさせるような、わずかの余裕さえも削ぎ落とされた冷徹なフォルムは、いかにもドイツ民族の造った機械といった趣。ただし後継者のBf109と違って本機は商業連絡機であり、機首付近の柔らかさが救いです。機体は読売新聞社機で、1936年のベルリン・オリンピックを記念した尾翼のマークにご注目。 [Heller]



nippon Mitsubishi Nippon / 1939

日本機として始めて世界一周を成し遂げた栄光の翼。原型は海軍の中型陸上攻撃機ですが、細くすらりとしたボディーが印象的で、いかにも高性能を予感させる流麗なシルエット が素晴らしい。当時の日本航空機設計陣の空力センスが世界水準に達していたことを窺わせる一作です。 [LS]



kamikazeMitsubishi Kamikaze / 1937

日本の航空技術が世界的水準に達したことを示した画期的機体です。本機によるロンドンまでの記録的飛行の頃を境に、平和な翼の時代はそろそろ終わりを告げようとしていました。本機はもともと高速偵察機として開発されたため風防を低くするなど空気抵抗を減らす工夫の後が窺えますが、反面、着陸時にはほとんど前方視界が無くなり、パイロット泣かせの機体だったようです。 [Mania]