新規の展示アイテムです。
This page introduces the newcomer of the museum.
The American racers
大型飛行艇の後は、おもちゃのように小さなアメリカの競争機を3機仕上げました。まずは水上機レースのワールドカップとして最も高い権威と人気を誇ったシュナイダーレースで、1925年米国に連覇となる優勝をもたらした機体、Curtiss RC3-2です。地元米国のバルチモアで見事に優勝したのは、名パイロット、ドゥーリトル
。コンパクトにきりりとまとまった姿は、確かに高性能を予感させます。

次の競争機はKiethrider R3。1934年に原型機が製造され、その後、より大馬力のエンジンに換装を重ねて、いくつかのヴァリエーションがあります。モデルはワスプ550馬力エンジンを搭載し、1936年のトンプソンレースで2位に食い込んだMarcoux-Bromberg Specialと呼ばれた機体。大馬力エンジンを後から取り付けたため、機体とのラインが全くマッチせず異様に頭でっかち。全体フォルムは無骨ではっきり言って不細工ですが、派手な塗装で楽しいヒコウキです。

そして最後の競争機は、Laird-Turner "Meteor"。本機こそ戦前の米国レース機の系譜の中で、ほぼ最後を飾る機体と言えるでしょう。
1938年のトンプソンレースで時速456kmを出して見事に優勝しています。


Latecoere 521 flying boat "Lieutenant de Vaisseau Paris"/ 1935
1930年代の航空界を常にリードし続けたフランスが、その威信をかけて取り組んだ大西洋横断航空路線開拓の集大成として開発した機体です。イスパノエンジン6基を搭載したこの巨大な飛行艇は、1935年に試験飛行としての大西洋横断を実施し、その能力を十分に立証しました。 その後いくつかの長距離試験飛行を行い、1939年には満を持して米仏間の無着陸飛行を敢行。名パイロット、ギヨメの操縦により見事に成功します。この飛行にはギヨメの親友にして飛行家、"星の王子様"の作者でもあるサン・テジュグペリや、エアフランスの支配人も客として同乗していたとのこと。
リンドバーグの史上初めての無着陸横断からまだ10年しかたっていない頃です。これまでに大西洋上で失われた多くの命、特にナンジェッセー、コリ、メルモスなど多くのフランス人の犠牲の上に成り立ったこの飛行を、フランス国民は大きな感慨をもって受け止めたことでしょう。この機体によりついに北大西洋路線の商業航空はほぼ現実のものとなるはずだったのですが、その年に勃発した第二次大戦のために、夢の現実は戦後の平和な時代を待たねばならなかったのです。
モデルはフランス製のヴァキュフォームキットで、出来上がると1/72なのに巨大なものになります。私の自宅のショウケースには収納できませんでした。

Three British memorial racers
ここしばらく英国機を続けて完成させています。別に意識はしていなかったのですが、偶然英国のそれも競争機ばかりが立て続けに出来上がりました。三部作として今回まとめて紹介します。

Sopwith Tabloidは、1914年の第2回シュナイダートロフィー優勝機です。航空開発のあらゆる分野でフランスの後塵を拝してきた英国が、初めて手にした栄光の担い手として、今なお英国人の郷愁を刺激する機体。そしてモナコで行われたこの大会から半年もしない内に、世界は悪夢の第一次世界大戦に突入。最後の平和の時代の翼であったことも記憶しておきたい名機です。

DeHavilland DH88 Cometは、1934年に開催された、マックロバートソン競技会に参加した機体。このレースは英国本国からオーストラリアまで飛ぶという世界でも類を見ない長距離レースでした。このレースには同型機のコメットが3機参加。優勝した紅の"Grosvenor House"号は最も有名で、現在も飛行可能な状態で英国に保存されています。今回作ったのは、大西洋単独横断で有名な"空飛ぶスコットランド人"、ジム・モリソンの操縦でレースに参加した、黒づくめの"Black Magic"号です。

Miles Falconは、新興の航空機メーカーMiles社のヒット作。クリーンな低翼単葉で固定脚を特徴のあるスパッツで包み込んだ近代的なフォルムです。1935年の英国におけるキングスカップで優勝して、一躍有名になりました。Miles社はその後英国空軍のために、優秀な練習機をいくつか開発しましたが、その後設計した戦闘機がことごとく惨めな失敗。戦後まもなく会社はハンドレイページ社に買収されました。
