関西本線名古屋口(その1)

 三重県四日市市生まれの管理人にとって、関西本線は近鉄内部線と並んで鉄道趣味の原点といえる路線です。ここでは、管理人が撮影した関西本線名古屋口(名古屋〜亀山間)の画像を新旧取り混ぜて展示させていただきます。

 旧型客車を牽引して名古屋駅関西本線ホームに入線するDD51。中央本線用スカイブルーの103系も、過去の思い出となってしまいました。 名古屋駅。 1982(昭和57)年3月21日撮影。


 キハ82系特急「南紀号」。53・10改正で登場して間もない頃の画像です。あと1年早ければキハ81の「くろしお」に間に合いました。ぼやけた画像で失礼ですが…。 名古屋駅。 1979(昭和54)年8月5日撮影。


 日本有数の石油コンビナートを有する四日市方面へ向けて、貨物列車が多く設定されています。国鉄色のDD51822号機と青色更新色のDD51856号機の重連が牽引する5284レ。 蟹江駅。 2003(平成15)年3月15日撮影。


 JR東海色の103系が走る姿も見られました。3両編成とはいえ、かつて旧型客車やキハ17などが走っていた時代を知る者から見ると、ちょっと信じられない光景です。 永和〜蟹江間。 1998(平成10)年8月18日。


 満開の桜を横に、蟹江川橋梁に向けて築堤を登る石油輸送列車です。のどかな光景ですが、この地区は古くから水害に悩まされてきました
 1959(昭和34)9月26日に東海地方を中心に大きな被害をもたらした伊勢湾台風によって、蟹江駅も浸水してしまいます。台風襲来時に蟹江駅で運転を見合せていた217レ(C57139号機+客車6両。ただし客車の後ろ3両は流木によるブレーキ管破損のため蟹江駅で切り離し。実際に待避したのは機関車と客車3両)は水を避けてこの築堤上に待避。約1か月間にわたって立ち往生してしまいます。その間客車は被災住民の避難所となっていました。『鉄道写真が語る昭和2』(山と渓谷社刊)掲載の写真を見ると、上の画像の先頭のDD51からタンク車3両目あたりの場所に217レが待避していたようです。(当時の乗務員の手記などによると、台風時にはいったん蟹江川橋梁上まで待避。台風通過後に築堤の途中まで後退してそこで機関車の火を落とした、とのことです) 蟹江〜永和間。 1998(平成10)年3月30日。


 関西本線名古屋口の華、特急「南紀」。通常は貫通型のキハ85形100番台が紀伊勝浦方の先頭に立ちますが、この日はGW期間のためか非貫通の0番台が増結されていました。 蟹江〜永和間。 2011(平成23)年5月4日。

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