第52回:キハ8000系

 国鉄(現JR)高山本線に乗り入れたキハ8000系「北アルプス」。 高山本線美濃太田駅。 1987(昭和62)年3月14日撮影。 

 戦前から名鉄ではモ750形などを使用して国鉄高山本線乗り入れを行ってきました。戦時中に一旦中断されたものの、戦後は1965(昭和40)年から再スタートします。
 乗り入れ再開に当たって製造された気動車が、今回のキハ8000系です。正面は国鉄キハ58風、側面はパノラマカー風連続窓を持つ同系には、運転台つき1エンジン車キハ8000形、2エンジンの中間車キハ8050形、1等車(現グリーン車)の運転台つきキロ8100形、運転台無しのキロ8150形(後に運転台を付けて8100形に編入)がありました。車体長はキハ8200形を除いて19m級のため、床下スペースに余裕がなく、床上にラジエーター室を設けています。塗装も上の画像とは異なり、国鉄キハ58系と似た塗り分けでした。
 当初は準急「たかやま」として運転されましたが、準急料金で名鉄特急と同じ転換クロスシート装備、冷水器付きの特急並み車輌(2等車)に乗れるということで、人気を博したようです。1966年には国鉄の優等列車種別整理(営業距離100km以上の準急は急行に格上げ)によって、急行になりました。
 1969(昭和44)年には、運転台つき2エンジンの強力車キハ8200形が増備されました。さらに、翌年からはシーズン中のみ富山地方鉄道の立山まで延長されて(飛騨古川までは毎日運転)「北アルプス」と改称しています。
1976(昭和51)年には晴れて特急に昇格。このとき、塗装も国鉄キハ82に準じたものに変更されました。
 1988(昭和63)年までに、キハ8200形5輌を残して廃車となりました。さらに1989(平成元)年にはJR東海がキハ85系を製造、翌年には「ひだ」すべてが同系に置き換えられたため、走行性能、客室設備ともに見劣りするようになってしまいました。
 最後まで残ったキハ8200形も、1991(平成3)年に後継車キハ8500系と交代して全車廃車となりました。
なお、この系列は鉄道友の会から昭和41年度のブルーリボン賞を受賞する栄に輝いています。

キハ8000系の略歴
1965(昭和40)年…日本車輌で、2等先頭車キハ8000形2輌、2等中間車キハ8050形2輌、1等先頭車キロ8100形1輌、1等中間車キロ8150形1輌を製造。準急「たかやま」として、国鉄高山本線に乗り入れ開始。

1966(昭和41)年…国鉄の優等列車種別整理により、急行に格上げとなる。鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。

1969(昭和44)年…日本車輌でキハ8000形1輌、キハ8200形5輌を増備。キハ8200形は走行用エンジン2基と発電用エンジン1基を搭載したため最大長が20730mmとなり、これは現在に至るまで名鉄車最大。キロ8100形、キロ8150形を普通車へ格下げ。キロ8151は先頭車化改造も実施され、翌年キハ8100形8102として竣工。

1970(昭和45)年…富山地方鉄道立山まで季節延長。「北アルプス」と愛称変更。

1976(昭和51)年…特急に格上げ。塗装をキハ58系に準じたものからキハ82系に準じたものへ変更。キハ8000形運転台直後に車掌室を新設、定員を60名→56名に変更。

1985(昭和60)年…3月のダイヤ改正で富山地方鉄道乗り入れ廃止。富山止まりとなる。12月、キハ8100形2輌廃車。

1988(昭和63)年…9月、キハ8003.キハ8051.8052廃車。10月、キハ8001.8002廃車。

1991(平成3)年…3月、キハ8500系の登場により、キハ8200形5輌全車廃車。形式消滅。

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参考文献
このページの作製にあたって、以下の文献を参考にさせていただきました。

『名鉄』 白井昭・白井良和・井上広和共著 保育社(1981年初版発行)
『名鉄』 白井良和・諸河久共著 保育社(1989年初版発行)
『名古屋鉄道』(復刻版私鉄の車両11) 飯島巌・白井良和・井上広和共著 ネコ・パブリッシング(1985年に保育社より初版発行。2002年復刻)
『鉄道ジャーナル』各号 鉄道ジャーナル社
『鉄道ダイヤ情報』各号 交通新聞社(弘済出版社)

『私鉄電車ガイドブック4』 東京工業大学鉄道研究部編 誠文堂新光社