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陶芸の歴史

中国の陶芸史

韓国、陶芸の歴史


 陶芸・焼き物の歴史は人類の歴史と一致しています。はるか昔の道具としての焼き物からそれがCeramic Artとして芸術の域まで達するまでの歴史を紹介。

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焼き物・陶磁器・陶芸の歴史


陶磁器の出現


人類は火を利用することを知りました。
その後、粘土が火に炙られて固く変質することを知りました。
道具としての焼き物はここから始まります。粘土は容易に成形できる性質があるので、手でこねて形成し、火の中に入れて焼く、焼き物の始まりです。
その歴史は古く、人類が火を使い始めてから間もない頃と想像されています。
数千年前、エジプト、メソポタミアあるいは中国に人類の文化が芽生えた頃にさかのぼるとされています。
様々な形成が可能なために当時、すでに粘土で壷や建築用のタイル、煉瓦が作られていました。
それ以来、陶磁器はギリシア、ローマ、ペルシア、あるいは中国において文明の盛衰と歩みをともにし、それぞれの時代の特色ある技術を生みながら今日に至っています。世界各地の遺跡には必ず陶磁器の歴史が刻まれて、道具の域を超えて装飾を施す陶芸文化も芽生えています。

日本・中国・韓国の陶芸史を紹介します。

日本、陶芸歴史


縄文式土器


~縄文時代の陶芸弥生式土器
縄文式土器 ~縄文時代の陶芸~

縄文時代の年代は流動的ながら、約1万6000年前から約2300年前とされ、年代として不確定な要素は残るが、中国湖南省で発見された1万8000年前の土器などとともに、21世紀初頭の時点において、土器として世界最古の部類をされています。

日本では12,000年前といわれた佐世保の泉福寺洞穴などで発見された(豆粒文土器)ものが最も古く、次いで縄文式土器があります。
これは、庶民の生活で最も一般的な用具としての土器で、約8,000年前からつくられており、世界で最も古い土器のひとつです。
縄文式土器は草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の六期に分けられ、弥生式土器が出現する2,500年ほど前までの時代です。初期のものは底が紡錘形で、竪穴式住居の床に直接差して固定していたと思われ、表面に文様はありません。
やがて、厚みのある土器が一般化し、表面には縄目模様のあることから、縄文式土器と言う名称で呼ばれました。

一般的には道具として使用されたが、その他貯蔵具として、また祭祀具として使用されていました。
中期から晩期に掛けては、祭司的な目的で製作された土器も多く、当時の縄文人の芸術性を開花させた作品も多く存在します。
中でも有名なのは、信濃川流域で広く発掘された縄文中期の火焔式土器と呼ばれる土器でこれは国宝に指定されています。

火焔式土器
その造形は炎が燃え上がるかたどったかのような形状の土器。装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器です。


弥生式土器
~弥生時代の陶芸~

弥生土器は紀元前2世紀~紀元後3世紀に西日本から全国に広まりました。
縄文式土器にくらべて明るく褐色で、薄くて堅い。このような色調や器肉の厚さの違いは、縄文土器が焼成時にまさしく器面を露出させた野焼きに対し、弥生土器が藁や土をかぶせる焼成法を用いたことによる。このために焼成温度が一定に保たれて縄文土器にくらべて良好な焼き上がりを実現できたと思われる。こういった焼成技法は、土器の焼成前の赤彩や稲作といっしょに大陸から伝来したと推察されている。

形は、壷・甕(かめ)・鉢、中期から皿を台上の上に載せた形状の高坏(たかつき)などの簡素な形をしたものが多く、穀物の調理や保存用など道具として作られました。


須恵器

子持高脚壷
古墳時代
日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器(炻器)である。青灰色で硬い。同時期の土師器とは色と質で明瞭に区別できるが、一部に中間的なものもある。5世紀に朝鮮半島南部から伝わり、土師器より高級な品として扱われた。

平安時代には「陶器」と書いて「すえもの」「すえうつわもの」と読まれていたが、それが古墳時代に遡るかはわからない。陶器(とうき)と混乱を避けるため、現代の考古学用語としては須恵器が一般化している。20世紀前半までは祝部土器(いわいべどき)と呼ばれることがあった。
須恵器は以後鎌倉期まで用いられており、そのため多くの窯跡が発見されています


~奈良時代の陶芸鎌倉時代
三彩壷
奈良期に唐三彩(とうさんさい)の影響でつくられた奈良三彩は、人為的に釉薬をかけた日本で最初の焼き物です。
釉は低火度の鉛釉で、白色、銅による緑色、鉄による褐色の三彩を主としています。
正倉院には、壷、塔、盤、碗などが保存されています。その後この種の低火度釉のかかった陶器や瓦がつくられました


~鎌倉時代の陶芸室町時代
灰釉壷
鎌倉期には中部地方で、俗に山茶碗(やまちゃわん)と呼ぶ粗雑な碗や皿などが焼かれるようになりました。
鎌倉期から平安後期にかけては瀬戸地方が製陶の中心地でした


~室町時代の陶芸安土・桃山時代
このほか室町期に現在、日本六古窯と呼ばれる瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前をはじめ各地で製陶が盛んになりました


~安土・桃山時代の陶芸
瀬戸や美濃地方で、志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部と呼ぶ釉薬を施した茶碗、水指、香合など優れた茶陶の製作が盛んに行われ、京都では楽焼が始まりました


明治時代 ~明治時代の陶芸
明治以降はゴットフリード・ワグネルなどからヨーロッパの科学技術を取り入れて、生産効率が飛躍的に向上した。

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