謎だらけのカルテ用語

 医学生が教科書で見る記述と、医者が医療現場の診療録(カルテ)で見る記載は同じではない。 ドクターやナースがカルテに書き込む用語は、よく使われるものほど由来や正しい読み方は忘れられ、 地域や世代によって、あるいはカルテの電子化にともなって使われなくなると思われるものが多い。 以下は、そんな用語に関する、知っていてもあまり役に立たないかもしれない知識である。

(申し訳ありませんが、ブラウザによっては正しく表示されない部分があります。)

Rp. do
 最もしばしば目にするのは、「Rp. do」といった表記ではないだろうか。これは「前回と同じ処方」の 意味であるが、果して(医師も含め)医療関係者の何割が、これらの略号の由来を知っているだろうか?

 まず、「Rp.」は“repeat”の略ではない。実は、ラテン語の“recipe”に由来し、 「処方せよ」の意味で、料理の材料を記す「レシピ」と語源は同じだろう。 リピート(繰り返し)と勘違いしてはいけない。

 現在は処方箋に「Rp.」と印刷されていることもあるが、元来は Rx. と書かれ、 これは「Rで始まる何か」という意味の表記だったものが走り書きされるうち、 「Rχ」→「Rψ」→「Rρ」のように変化して、 「Rp.」と書かれるに至ったものだろう。

 その次の「do」は、英語の“do”とは関係が無い。 ラテン語の“ditto”を略して語頭と語尾だけ記したもので、正しくは do. と書き、 「上に同じ」の意。うるさいことを言えば「ドゥー」と読むのは間違いで、 英語では[dítou]<[i]にアクセント>と発音することになっている。

 この「do.」をアメリカで[du:]と発音すると馬鹿にされるだろうが、 日本の医療現場では「ディトウ」と言っても通じないことのほうが多いだろう。 いちいちうるさく説明していたら変人扱いされかねないような話題ではある。
「錠」の変種あれこれ
 カルテに「Rp.do」(本来の表記は「Rx.do.」)と書いても、処方箋にはちゃんと薬剤名を 書かなければならない。たとえば「XYZという薬を毎朝1錠」ならば「XYZ 1T アサ」などと記す。 この「1T」のは“tablet”(錠剤)の略で、「1tab.」といった略記もある。

 処方箋は薬剤を処方した医師が書かなければならないことになっているが、実際には見習いの研修医が 代筆したりもするし、小規模な病院などでは医師の監督指導の下でナースが代筆する場合も少なくない。 (自分が見てきた医療現場はそうだった。)

 医者がカルテに書く字は殴り書きで判読しづらいこともあり、これを書き写すさいには微妙なブレが 生じうる。“tablet”の略が“T”と知らない新人研修医やナースが「T」をと書き違えても 気づかれず、そのまま流通してしまったりする。

 豆腐じゃないんだから「1丁」はないと思うんだが(^^;…、薬剤名と用法・用量さえ正しければ実害は無いので、 わざわざ「本当は『T』が正しいのだ!」などと訂正を強いる者もなく、「薬1丁」の処方箋も罷り通っている。 こういう変異は、車のハンドルの「遊び」のようなものとでも言えようか。

 さらに「丁」が読み違えられてになっているのもある。 最初は誰かが「錠」は[jou]だから「J」なんだ…とでも勝手に類推したのだろう。 このほか、「1T」の走り書きがに見えるせいか、「○○1ヶ」と書かれた処方箋も散見する。

 もっと傑作なヴァージョンとして、なんてのもある。「T」の筆記体が「丈」に似ている上に、 確かに「ジョウ」と読めることから、誰かが洒落で使い始めたものかもしれない。

 これら「丁」「J」「ヶ」「丈」等、「T」の変種はしかし、 カルテの電子化・コンピュータ入力の普及によって一掃され、失われてゆくだろう。 近い将来、懐かしい昔話のネタになるか、なりそうもないような話題である(^^;。

 ちなみに、自分はメモ用として、例えば「XYZ 3T」を略し「XYZ3」と書いている。 これは、数式などの「三乗」と「三錠」とを掛けた、ささやかな駄洒落である。
カルテ用語の方言?
 「Rp.do」といった表記は概ね、全国共通と思われるのだが、そうではない、言わば方言のような、 限られた地域でしか通用しない表現というのもある。

 自分が赴任した病院はすべて南関西にあり、そのほとんが阪大系、 すなわち、大阪大学医学部出身の指導医の流儀を継承する医師が多数を占める。 したがって、処方箋の書き方にしても阪大病院独特の表記法が伝承されている。

日本語 英語ドイツ語ラテン語
食前before mealsvor dem Essenante cibum
食後after mealsnach dem Essenpost cibum
眠前at bedtimevor dem Schlafhora somni
食前・食後・眠前といった、薬の用法にしても、右の表のように、英語・ドイツ語・ラテン語 いずれに基くか、それをどう略すかで、地域によって異なる表記があり、同じ「食後」でも、 ドイツ式の“n.d.E.”、ラテン語からの“pc”など、多様な略記法があるらしい。

しかし、阪大系病院ではこれらのいずれでもなく、カタカナの「ス」を横長に書いて「1日3回、食後すぐ」を表す約束になっている。 例えば、[XYZ 3T]で「XYZという薬3錠を3回に分け、食後すぐ服用せよ」の意味になるが、関東・東北では通じない表現だろう。

 また、ひとつの薬を漢字一文字などで表わし、「咳」と書けば鎮咳薬のブロチン、 「杏」で杏仁水、これら両者を混合したシロップを「咳杏甘水」と書く約束になっているが、 まるで暗号である。ビオフェルミンを「BF」と略記するのは未だ良いが、 「殿」(デンプン)など、カタカナで書いたほうが早いような、略号とは言えないものもある。

 重質酸化マグネシウム(通称カマ、カマグ等 )などは、「火广」を一文字にしたような、 辞書にも載っていない字が使われる。(右図は、この薬剤2gを3回に分け食後すぐ服用の処方例である)

 このほか、自分は使われるのを見たことがないが、「叱」(コランチル)など、 (『コラ』と叱るという)連想ないし駄洒落に由来する傑作も存在した。 (お笑い文化の栄える大阪ならではの表現かもしれない。)

 これらもしかし、カルテが電子化され、処方箋がコンピュータ入力になる過程で失われ、忘れられていく運命にある。
ドイツ語世代と英語世代、ドクター用語とナース用語
 日本では概ね、明治以降戦前まで主流はドイツ医学、戦後はアメリカ医学に移行してきたと言える。 したがって、かつて医者が使う用語はドイツ語が多かったが、若い世代ほど英語を使う傾向にある。

 しかし、英語の文献を読む医師でも、看護スタッフとの会話ではハルン(尿)やブルート(血)など、 先輩の世代から受け継がれたドイツ語由来の用語をよく使う。そもそも「カルテ」もドイツ語に由来する、 「カード」(英語)と語源が同じ言葉である。また、ドクターの診療記録で英単語が多いカルテでも ナースの看護記録はドイツ語由来の略号が目立つという現象が見られる。

 例えば、看護記録で体温はKT、血圧はBDと略記されているのを目にする。 これらはそれぞれ、Körpertemperatur(下線部は[o]に[¨]), Blutdruckというドイツ語に由来するが、かつてドイツ語世代の医者からナースへ、そして その後輩ナースへと受け継がれたものかと思われる。ただし、英語世代の医者なら体温・血圧は それぞれ、BT(body temperature)、BP(blood pressure)とするのが普通だろう。

 また、ドイツ語由来ならばKTは「カーテー」とドイツ語式によむべきところだが、 若いナースは「ケイティー」と読むと思う。 同様に、ドイツ語世代のドクターはEKG (英語式にはECG、心電図のこと)と書いて「エーカーゲー」と読むが、若いナースは イーケージーとしか読めなくても看護記録にはEKGと書くという伝統ないし慣例に従ったりする。(脚註参照。)

 こういう現象は、世代や地域により差異があるかもしれないが、これまた看護記録のIT化により 目立たなくなるだろう。おそらくドイツ語由来の表記は日本語あるいは英語を基準とした表現による 入出力に置き換えられてゆくものと想像される。

以上の記事は、書籍等の広告ではありません。

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(脚註)
以上の記事の大部分は2001年頃に書かれたものであるが、2010年10月、アメリカの病院でもEKG(イーケイヂー)という表現が用いられるとの情報を得た。これはEEG(脳波)と聞き間違われることを避けるため、あえて英単語の綴りと一致しない略号が採用されたものと考えられる。(英語圏でスペルを無視し発音だけで略すことも可との情報あり)
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