![]() 〜大好きだったお父さん〜 ![]() |
私の父は1998年、私が19歳のときに死去しました。 享年56歳の若すぎる死だった。 かなり個人的なこと書いちゃうけど、大事なものをここに残しておきたいので・・・。 私は子供の頃からお父さん子で、本当にお父さんが大好きだった。 私にとって何より、お父さんがいなくなってしまうことが一番怖かった。 お父さんは体が大きく、典型的な亭主関白タイプの父親で 何でも知っていて頼りになる、まさに理想的なお父さんだった。 あまり怒ったことはなく、家庭の中では明るく優しいお父さんだった。 |
両親の別居 私が4歳のときに両親が別居することになった。 理由はお父さんの浮気相手(現在同居中の義母)に子供ができたため。 まもなく妹が誕生しましたが、幼い私は状況を理解することができなかった。 ただただ、母親と別れて暮らすことがつらく、泣いてばかりいた記憶がある。 2人の兄はそのことでお父さんを深く恨むようになったみたい。 明らかに義母から妹と差別して育てられていても お父さんは黙って見ているだけだった。 お父さんに反抗するかのように素行が悪くなっていく兄達。 そしてお父さんも明らかに妹を一番かわいがっていた。 「それならなぜ、私たちを母の元に置いてこなかったのか。」 コレはずっと思ってきたこと。 だけどそのときの私には、お父さんが唯一の味方だったから失うわけにはいかなかった。 妹が思春期の頃、お父さんに向かって「汚い、触らないで。」 などと言うことがあった。 お父さんはただ笑っていたが、代わりに私が張り倒したいくらいだった。 こんなことを思っちゃいけないんだって思いながらもいつも心の中で 「どうして生まれてくるべきじゃなかった妹だけがあんなに愛されているんだろう。」 と思っていた。 このページのトップへ |
一度目の大病 私が10歳のとき、お父さんが入院した。 ギダンバレー症候群という大病で、一時期は歩けなくなってしまった。 何ヶ月も入院しつづける父。 家の中はポカーンと暗く、とてもさみしかった。 毎週お見舞いに行く病室も、暗くてなんだかいやだった。 しばらくしてお父さんも回復し、家に明るさが戻ってきた。 このページのトップへ |
二度目の大病 二度目に大病をしたのは私が高校2年になった頃だった。 最初はひどい口内炎ができたといっていたが、検査をしてみたらガンだということがわかった。 そしてまた入院。 手術を受けたお父さんはすぐに回復し、不安はあるものの何とか普通に生活を続けることができた。 ただ、手術した個所が歯下肉(歯茎)だったため 下の歯を全部抜き、入れ歯となり、あごにはくっきりと手術の跡が残った。 正直そんなお父さんの姿に最初はショックを受けたけど 生きていてくれればそれでもいいと思った。 そして2年後。恐れていたことが起きた。 私が大学1年の夏休みだった。 1人アメリカへ旅行する私を兄が空港まで送ってくれた。 その時なぜかお父さんもついて来るといった。 お父さんは普通に笑って私を見送ってくれた。 私はその時何も知らなかった。 帰ってきた私を待っていたのはお父さんの入院・再手術の知らせだった。 私が帰ったとき、すでにお父さんは手術を済ませていた。 私が旅行を楽しみにしていたから、気を使わせないように手術のことは言わなかったらしい。 弱々しくベッドに横たわる父。 空港で笑って見送ってくれたのがウソみたいだった。 義母の様子からして今回は深刻そうだった。 だけど、まさか、手術もしたんだし 今までだって治ってきたんだから、きっと大丈夫・・・。 やがてお父さんは退院し、家に戻ってきた。 このページのトップへ |
余命 「お父さんはあと長くて半年なのよ。」 手術から一ヵ月半経った頃、突然義母にそう伝えられた。 よくない状態だっていうことはわかってたけど あと半年しかないなんて・・・。 突然突きつけられた現実に一瞬とまどい、そして泣いた。 ”一番怖かったこと” それは、お父さんがいなくなってしまうこと。 それがもう、目の前の現実になっている。 怖くて、つらくて、何度も泣いた。 そんな中、祖父が危篤になり、逝去した。 私ははじめてお葬式に参列した。 お坊さんがお経をあげる中、何度も泣きそうになった。 祖父を失ったことが悲しかったんじゃなかった。 いずれ近い未来に、これがお父さんのお葬式になるんだと思うと それがつらくて泣けてきた。 このページのトップへ |
病院にて 年が明け、再び違う病院にお父さんが入院した。 建物は古く、どことなくさみしい雰囲気の病院だった。 私はちょくちょくお見舞いに行った。 時々お父さんの大好きなソフトクリームを買って行ったりもした。 お父さんは嬉しそうに「おいしい」って言って食べてくれた。 お父さんは私たちがお見舞いに行くとどんなときでも起き上がって笑顔を見せてくれた。 しばらくして、お父さんの希望で自宅療養に切り替わった。 一日中ほとんど寝ていたけど、私もできることは何でもしてあげたかった。 だけどなぜかお父さんは私が世話をするのを嫌がった。 きっと娘に弱った姿を見られるのがイヤだったんだと思う。 確かにお父さんはどんどんやせていて、足や腕は驚くほど細くなり、 手は物を持つのにも不自由なほどむくみ、 声は出せるがほとんど言葉がしゃべれない状態だった。 また、薬の副作用で少し幻覚を見ている状態でもあった。 見ていてつらかった。 コレがあの体格の良かったお父さんなのか・・・。 いつも堂々としていて、何でも頼れるお父さんなのか・・・。 だけど、それでも、お父さんのために何かしたい。 できる限りお父さんと過ごしたい。 それが私の願いだった。 このページのトップへ |
お父さんが死んだ日 少し雨の降ってる6月だった。 私はいつも通りバイトに行き、夜帰宅した。 帰ってくると親戚が数人来ていて、ちょうど帰るところだった。 お父さんはリビングのソファーに座っていて 私が帰ってきたと聞くとにこっと笑った。 後で聞いた話だけど、このときお父さんはまるで子供みたいに嬉しそうに笑ったらしい。 親戚が帰って落ち着いた家で、私は次の日のバイトに備え早く寝ようと ちょうどお風呂に入ろうとして準備をしていた。 突然ドシンという大きな音が聞こえて お父さんの寝ている和室から兄を呼ぶ、義母の慌てた声が聞こえてきた。 私も急いで駆けつけると、そこには血まみれで倒れているお父さんの姿があった。 トイレに行こうと立ち上がったとたん体を支えきれずに倒れてしまい その衝撃で首にできていたガンが破裂して出血してしまったのだ。 急いで救急車を呼ぶ。 必死でみんなお父さんに声をかける。 お父さんは息はしているが、意識がない。 そのかたわらで、さっきまでお父さんが聴いていた童謡のテープが優雅に流れてた。 今でも忘れない。あの、悪夢のような時間。 義母と兄が付き添って救急車に乗っていった後 私はひたすら血だらけになった畳を雑巾で拭っていた。 その横で妹が手伝いながら声をあげて泣き始めた。 「大丈夫。大丈夫だよ、きっと。」そう言うしかなかった。 しばらくして兄から電話があった。 急いで病院へ向かう。危ないと思いながらも信号無視もした。 お父さんはこの前まで入院していた病院のいつもの病室にいた。 手当てを受けて、かすかに意識がある状態だった。 私も妹も、ずっと必死で「お父さん」と呼びかけた。 呼びかけなかったら今にも眠ってしまいそうだったから。 お父さんは呼びかけると、「はいよ。」っていつもみたいに返事した。 それから何時間もみんなでお父さんの周りに座って、お父さんと話した。 お父さんはとりとめのない話をした。 私はお父さんの手をしっかり握りながらお父さんと話した。 お父さんは苦しそうだった。 だけどやっぱり呼びかけるとかすかに笑顔を見せてくれた。 そして明け方。お父さんは眠るように静かに息を引きとった。 このページのトップへ |
霊安室にて お父さんが霊安室に運ばれた。 上から布をかぶせられて動かなくなったお父さんを見ていたら それまで我慢していた涙が急にあふれてきて止まらなくなった。 お父さんが死んだ。 急に胸にあふれてくる想い。 お父さんと過ごした楽しい日々が頭の中でよみがえる。 お父さんはもういない。もう動かない。もう返事してくれない。 泣いているうちになんで泣いているのかわからなくなった。 お父さんが死んだから泣いているのか、それとも お父さんを亡くした自分がかわいそうで泣いているのか・・・。 わからなくなった。 このページのトップへ |
お父さんの骨 お通夜が済み、お葬式が済んだ。 お葬式まではなぜか自分でも驚くほどしっかりしていられた。 泣かなかったし、来てくれた人たちに気を使うこともできた。 だけどお葬式のあと、お父さんが焼かれて骨になったのを見た時 たまらず涙が出てきてしまった。 これがお父さんなのか・・・。こんな真っ白な粉のような骨が・・・。 もう、お父さんの髪も肌も何もかも無くなってしまったんだ・・・。 お父さん!!お父さん!! もう・・・いないんだ。 お葬式の後で、お父さんの友人の方が私のところに来て 「あなたが上の娘さんかぁ。お父さんね、 ”うちの上の娘は男の子みたいに部活やっちゃって困っちゃいますよ〜”って いつも嬉しそうに話してたよ。」って言ってくれた。 それを聞いてすごく嬉しくなった。 お父さんが私のことで喜んでいてくれたんだ。 お父さんが私のこと、誇りに思ってくれてたんだ。 私は少しでもお父さんを安心して逝かせてあげることができたんだ。 このページのトップへ |
お父さんがなくなってから3年が経った。 今ではもう、お父さんのいない生活に慣れた。 だけどお葬式が済んで、しばらく経って落ち着いたとき 自分がホッとしてるのに気付いた。 それはきっと、ずっと怖かったことの苦しみを乗り越えられたからだと思う。 だけど、今でもお父さんのことを思い出すと泣きそうになることもある。 成人式の着物姿さえ見てもらえなかった。 お父さんのために買った新しい車にも乗せてあげられなかった。 そして、孫の顔を見せてあげられなかった。 お父さんとしたかったこと、してあげたかったこと、 まだまだいっぱいあったのに・・・・。 だけど私のせめてもの救いは最期の最期までお父さんのそばにいられたこと。 小さい頃はお父さんにそっくりだって言われて嬉しかったこと。 毎週休みの日は一緒にゴルフ練習場に連れて行ってくれたこと。 一緒に料理をしたこと。 毎年行く海で、決まってお風呂上りに港でアイスを食べたこと。 小さなことだけど、私の事だって愛してくれてたんだ。 もう遅いけど、でも、気付けてよかった。 今は本当にそう思う。 このページのトップへ |

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