泣きました。
人から薦められて、この本を知りました。
文体は滑らかで、全体的に繊細なつくりをしながらも登場人物は力強かったです。
設定時代は古いものですが、いまの私たちにも置き換えられるようなテーマがベースにあるように思え実用的な本だと思っています。
人が生きるということ
切れ長の目が美しい少女キクはある日同じ浦上の馬込郷の少年達に負けじと一本の大木に登った。
勢い勇んで登ったキクであったが、途中で降りることができなくなってしまった。そんな彼女の窮地を救ってくれたのが、彼女が住んでいる馬込郷の隣の中野郷在の少年清吉であった。
彼は後に「クロ」であることから浦上を追われ津和野に流されることになり、そんな彼をキクは短い生涯の中で命がけで愛することになるのだが、そのときのキクにはそのようなことを知る由もなかった。彼女は従妹のミツと遊び回る無邪気な子供の一人に過ぎなかったし、清吉たち中野郷に住んでいる者達が「クロ」と呼ばれ嫌われる理由も、「クロ」が何を指しているのかといったことさえ全く知らなかったのだ。と言っても、長い間鎖国を続けキリスト教がご禁制であった当時の日本において、「クロ」と呼ばれる彼らが代々秘密裏にその信仰を守ってきたキリスト教というものを十分に理解していた日本人がどれほどいたというのであろう。
当時の日本は江戸から明治へと時代が大きく転換しようとしていた時期である。
時勢にうまく乗ることができた者たちには出世の道が開かれ、乗り遅れてしまった者たちには転落人生が待ち受けている、そんな時代であった。キクと清吉は彼らには全く預かり知らない所で行われている権力争いの犠牲になってしまった恋人たちであった。
そもそもキリスト教を日本で禁じたのは、日本を諸外国の侵略から守り、日本国民の安全で幸福な生活を保証するためではなかったのだろうか?
外務省の役人であり隠れキリシタンを取り締まった一人である本藤は「日本の進歩のため」という言葉を頻繁に用いているが、彼が「日本」という言葉で示しているのは世界の国々との関係で存在する一つの大きな空間であり、その中で実際に生活している人々のことを全く考慮していない。キクや清吉のような若い恋人達が苦しもうと不幸になろうと彼の心には何の呵責も起こらない。「日本の進歩のため」という大義名分のもと、多くの日本国民が犠牲になった時代でもあった。
当時の日本が直面していた問題と人が生きるということについて考えさせられる作品である。
涙があふれて仕方がありませんでした
幕末から明治へと時代が変わり行く中で、隠れ切支丹が現れます。宣教師たちの努力によって、隠れ切支丹たちは、今までの隠れた生活から、次第に公に信仰を表すようになっていきました。 そんななか、切支丹の中に清吉という一人の若者がいました。この彼を愛したキク。ところが、この清吉は切支丹迫害によって苦しめられてしまいます。なんとかして、彼を苦しみから助けたいと願うキクは、下級役人の伊藤に嘆願します。しかし、この伊藤がキクを・・・。 キリスト教に反感を抱きながら、聖母マリアに訴えるキクの姿。切支丹を拷問し、非常ともいえる仕打ちをキクに与えていきながらも、自らの罪に苦悶していく伊藤・・・・。 人の深い心の姿を描きつつ、信仰とは何か、愛するとは何か、そして神は何をしているのか。多くの思いを起こさせながら、物語は進んでいく。
存在意義
思想とは何か・・ 宗教とは何か・・ 人間とは何か・・ 神 とは何か・・といった事を考えさせられる一冊であった。 内容は、幕末から明治への過渡期を通して御禁制 であった、キリスト教(切支丹)を崇拝した人々 と幕府の攻防・・ そして、切支丹である男「清吉」を愛した、女性 「キク」の生涯を綴ったものである。 有り体に言ってしまえば、宗旨の差異と絡めた 恋愛小説・・といえないことも無い。 しかしながら、あくまでもそれは本質を浮き上が らせるためのものであって、中心的な存在ではな いのは確かである。 なぜならば、本書の本質は、『何故?』という事 を自己(人物)に問い質す事によって、その在り 方を追求することにあるからである。 換言すれば、存在意義の確認といったところだろ うか。 多分にして、人は生きていれば「善い事」も 「悪いこと」もする生き物である。 しかしながら、逆に言えば善悪を備えているから こそ、わかることもあるのではないかと思えて やまない。 本書のくだりにこんな一節がある・・ 「神がいないのならば、布教も祈りも意味が無い」 これは、登場人物である長崎奉行所の役人が、 布教活動をするパードレ(神父)に言った言で あるが、果たして神とはどういったものなのであ ろうか? 私はキリスト教徒でもなければ、哲学者でもない ので不確かな事しか言う事はできない。 しかしながら、本書を読み終えてみて思った事は 「善を奉じる者は神足り得る」 ということである。 それは本書の登場人物の「キク」然り、「清吉」 然りである・・・。 兎にも角にも、捉え方は人それぞれである。 一度読んでみることをお勧め致します。
やりきれない
もし、キクや清吉がキリスト教禁止の時代に生まれていなかったら、と思うとほんとにやりきれないです。全てが空回りして、それでも清吉のために体を売ってまで金をつくろうとしたキクに嗚咽がとまりません。
講談社
女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫) 遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本) わたしが・棄てた・女 (講談社文庫 え 1-4) 悲しみの歌 (新潮文庫) 沈黙 (新潮文庫)
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