帝國博物学協会

安芸國
広島城
 所在地 広島県広島市中区基町
 交通機関 広島電鉄 紙屋町下車 徒歩10分
 別  名 鯉城
 略  歴 安芸の国人毛利氏は、元就の代までは尼子氏・大内氏など強大な勢力の狭間にあったため、防御に適した吉田郡山城を本拠としていた。
天正17(1589)年、元就の孫輝元は、豊臣政権配下の大大名として平地の太田川河口の三角州に築城を開始した。
広島城の縄張りは、豊臣秀吉が京に築いた聚楽第を範としたと言われている。
慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で西軍の総大将となった毛利輝元は、防長2カ国に減封になり、豊臣恩顧大名で、関ヶ原合戦で東軍に属し、功のあった福島正則が芸備2ヶ国の大主として広島城に入城した。
広島城は、河口の三角州に築かれた城であったため、洪水の被害が出やすいという欠点を抱えていた。
元和3(1617)年、広島で大洪水があり広島城も多大な被害を被ったため、正則は幕府に修繕願いを出した。しかし、正則を警戒する幕府は、容易に許可を出さなかった。
正則は城を修築したが、これが無断の修築と見なされあわてて破却するが改易となり、信濃川中島へ転封された。
正則の転封後、紀伊和歌山城より浅野長晟が入城し、以後代々浅野家が城主となった。
なお、忠臣蔵で有名な赤穂浅野氏はこの広島浅野家の分家である。
 現  況 広島城は明治維新後、大天守などを除いて全て破却され、本丸下段に護國神社が勧請された。また、本丸・二之丸を除く堀も埋め立てられた。
日清戦争では、城内に広島大本営が設置されたが、昭和20(1945)年大東亜戦争でに投下された原爆によって、残された天守も炎上した。
昭和33(1958)年、「広島復興大博覧会」が開催された際に外観復元され、広島城資料館となっている。
また、平成6(1994)年には、二之丸平櫓・多聞櫓・太鼓櫓・表御門が、木造で復元されている。
外郭

北郭石垣石

堀水取水口跡

三之丸櫓台跡

三之丸石垣石

外郭櫓台跡
ニ之丸

太鼓櫓・多聞櫓

太鼓櫓と東面
石垣

二之丸全景

二之丸

表御門と平櫓

表御門

番所跡

太鼓櫓

厩跡

二之丸全景

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