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| 所在地 | 徳島県阿南市トノ町 |
| 交通機関 | JR牟岐線 阿南駅下車 徒歩15分 | 別 名 | 富岡城 |
| 略 歴 |
築城時期は不明だが、戦国期には阿波守護細川氏の家臣、新開氏の居城であった。 新開氏は、元は武蔵國新開氏館を拠点とする御家人であったが、鎌倉時代後期にこの地を与えられて移住した。 阿波の支配は、その後細川氏から家臣の三好氏へ移っているが、牛岐の支配は引き続き新開氏に委ねられた。 天正3(1575)年、城主新開遠江守実綱(道善)は、土佐の長宗我部元親の阿波侵攻に頑強に抵抗をしたが、天正8(1580)年に遂に降伏した。 天正10(1582)年、阿波全土を統一した元親は、実綱を徳島の丈六寺に呼び出して謀殺し、牛岐城には弟の長宗我部親康を入れ、阿波南方の備えとした。 天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐により阿波一国を与えられた蜂須賀家政は、牛岐城に家臣で姉の子である細山政慶を城代として入れ、阿波南方の備えとした。政慶は地名を縁起の良い富岡変え、城名も富岡城とされた。 寛永15(1638)年、幕府の一国一城令により、富岡城は廃城と決まり、破却され石垣の一部が桑野川の一ノ堰建築に転用された。 |
| 現 況 |
阿波九城に数えられた牛岐城址も、大正期に城の真中を横切る町道が作られた事により、二分されてしまっている。 元来瓢箪型の丘であったと言われており、城の南方に本丸・北方桑野川に面する方に二之丸が設けられていたらしい。 現在、本丸跡に牛岐城趾館が建設されており、その中に発掘された石垣が保存されている。 また、北側の二之丸跡には、新開氏最後の城主新開実綱を祀る新開神社が建立されている。二之丸の下が一部段々になっており、往時の腰郭の跡ではないかと想像される。 |
![]() 牛岐城本丸跡 牛岐城址館 |
![]() 牛岐城本丸跡 (下段) |
![]() 本丸石垣 |
![]() 牛岐城本丸跡 (上段) |
![]() 牛岐城址碑 |
![]() 本丸より二之丸 を望む |
![]() 桑野川畔より 二之丸を望む |
![]() 二之丸跡 (新開神社) |
![]() 二之丸跡 |
![]() 二之丸跡先端 |
![]() 腰郭跡 |
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