帝國博物学協会
筑後國
久留米城
 所在地 福岡県久留米市篠山町
 交通機関 JR鹿児島本線 久留米駅下車 徒歩10分
 別  名 篠山城・篠原城・来目城・久留目城・雨城
 略  歴 久留米城は永正年(1504-21)間に高良山勢力によって築かれた出城をその創築としている。
高良山勢力は、高良山高隆寺の僧を中心とする勢力で、豊後大友氏と肥前少弐氏の境界に勢力を築いていた。
天正11(1583)年、高良山座主麟圭が3年に渡って豊後大友氏との籠城戦を戦った。
天正15年、豊臣秀吉が島津氏を破って九州を征討すると、伊予大洲城から毛利秀包が35,000石で入城した。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで西軍に属した秀包は改易となり、三河岡崎城から田中吉政が筑後国主として柳川城に封じられると、久留米城には次男則政が入城した。
嫡男忠政が嫡男を残さぬまま先没したために、元和6(1620)年に吉政が没すると、柳川田中家は改易された。
翌元和7年、丹波福知山城から有馬豊氏が210,000石で入城した。
豊氏は久留米城を現在見られる総石垣の城として改修したが、およそ40年もの歳月を要したという。
その後代々有馬氏が11代有馬頼咸の時に明治維新を迎えた。
 現  況 久留米城址は筑後川を河畔の岡に本丸を置き、南に向けて二之丸・三之丸・外郭と連郭式の縄張りした城郭である。
外郭は市街地と化して遺構は残されていない。二之丸や三之丸にはブリヂストンの工場や関連施設が置かれており、遺構も三之丸空掘跡が遊歩道として残されているに過ぎない。
本丸の石垣は良好な姿で残されており、本丸内には篠山神社や有馬記念館などの施設が置かれている。
外郭

大手門跡付近

大手門跡付近

大手門跡付近
三之丸

三之丸南面

三之丸南堀跡

三之丸南堀跡

三之丸南堀跡

三之丸南堀跡

三之丸虎口跡

三之丸跡碑

三之丸跡

三之丸跡
二之丸

二之丸跡石碑

二之丸跡石碑

二之丸東面

本丸
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