帝國博物学協会
筑前國
名島城
 所在地 福岡県福岡市東区名島1
 交通機関 西鉄宮岳線 名島駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 名島城は、天文年間に、立花山城主立花鑑載によって、支城として築城されている。
立花鑑載は、元来主家大友氏の一族で、立花氏6代新五郎が大友義鑑に叛旗を翻して滅亡した事によって、その名跡を継いでいる。
しかし当の鑑載も、天正8(1565)年と11年の2度に渡って主家に叛旗を翻した事によって、処刑されている。
名島城が近世城郭としての様相を整えるのは、天正15(1572)年、豊臣秀吉の九州征伐後に備後三原城から入封した小早川隆景によってである。
名島城は、三方を海に囲まれており、水軍の総帥でもあった小早川氏にとっては格好の水軍城として整備された。
隆景の死後彼の遺領は分割され、名島城には小早川宗家を継いだ小早川秀秋が30万7000石で入城した。 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の戦功により、秀秋は備前岡山城51万石に転じ、名島城には豊前中津城より黒田長政が入城した。
長政は、この地が三方を海で囲まれているため、城下町建設に著しく不都合があること、また、城地としての拡張性も無い事から、新たに新城を築城する事とし、福崎の地を新城と定めて着工、名島城の石累・建物は新城の資材として全て持ち去られた。
こうして築かれたのが、黒田氏52万石の居城、福岡城である。
 現  況 城址は名島神社とその周辺とされており、城址碑が名島神社に建てられている。
名島神社が建っている場所が、往時の弁天曲輪である。
名島神社の祭神は、宗像三女神で、水軍の将たる小早川隆景に相応しい。また、弁天曲輪のいわれは、隆景が名島城を築城した際、本丸にあった弁財天を弁天曲輪に移して、城の鎮守としたとされる事による。現在その弁財天は南丸跡にある宗栄寺に祀られている。
神社背後の丘上は天守台と呼ばれ、その北側に本丸跡があるが、現在は立入り禁止である。
城の遺構としては、福岡市内に福岡城名島門崇福寺唐門、宗像市の宗生寺山門が移築された伝わっている。

本丸

本丸

本丸と天守台

名島神社参道

裏手の石塁

名島神社本殿

天守台

天守台

名島城址碑

名島城址碑付近

切岸か?

切岸か?

郭跡?

宗栄寺

南丸

弁天橋跡

崇福寺
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