帝國博物学協会
羽前國(出羽國)
上山城
 所在地 山形県上山市元城内
 交通機関 JR山形新幹線 上山駅下車 徒歩10分
 別  名 月岡城
 略  歴 応永の頃、最上氏の祖、羽州探題斯波兼頼の曾孫上山光長が虚空蔵山に城を築いたのが上山城のはじまりである。
現在の天神森台地に城が移されたのは天文(1530)の頃で、月岡城と呼ばれた。
元亀・天正の頃になると、米沢から伊達輝宗が上山に攻め寄せている。その頃城主は上山満兼から里見民部に代わっている。
東の関ヶ原と言われる上杉氏の山形侵攻では、里見民部は最前線となって上山城を出撃、本村親盛の軍を散々に破っている。
慶長8(1603)年、坂紀伊守光秀、元和2(1616)年には上山兵部光広が城主となった。
元和8(1622)年、最上氏が改易になると遠江横須賀城から松平(能見)重忠が4万石で入封した。
松平氏2代重直は、重忠死後すぐの寛永3(1626)年に摂津三田陣屋3万石に減封され、替わって蒲生忠知が入封する。
寛永4(1627)年、兄の会津城主蒲生忠郷が早世したため、急遽宗家を嗣ぐ事となったが、伊予松山城24万石に減封となっている。
その後山形鳥居氏の管轄を経て、寛永5(1628)年、下総相馬から土岐頼行が2万5千石で入封、この頃城は最も整備された。
土岐氏2代頼殷は、元禄5(1692)年越前野岡藩に転封となり、上山城は廃城となり破却された。
同年、飛騨高山城から金森頼時が入封したが、治世は5年と短く、元禄10(1697)には美濃郡上八幡城に転封となった。
替わって松平(藤井)信通が備中庭瀬城から入封した。
松平氏は10代に渡って上山の地を治めたが、城は再建されることなく明治維新を迎えた。
 現  況 城址は月岡公園となっており、模擬天守が資料館として建てられている。
模擬天守背後の本丸は月岡神社となっており、周囲に土塁が良く残されている。
また、沢庵和尚の築いた庭園の一部が残されている。

模擬天守

本丸下土塁

二之丸

堀底道

二之丸

模擬天守

沢庵築庭跡

本丸跡

本丸土塁

月岡城址碑

本丸土塁

本丸土塁
と堀跡

本丸土塁

本丸土塁と
櫓台

本丸門櫓土塁

本丸土塁と
堀跡

本丸土塁

櫓台土塁

本丸土塁

二之丸土塁

二之丸土塁

二之丸土塁

二之丸土塁

二之丸

藩校明新館跡碑
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