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| 所在地 | 福井県福井市大手3 |
| 交通機関 | JR福井駅下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 北ノ庄城・福居城 |
| 略 歴 |
慶長6(1601)年、結城秀康が越前67万石にの太守として入封すると、翌7年から天下普請として6年の歳月をかけて柴田勝家の築いた北ノ庄城の跡に築城され、北ノ庄城と称した。 寛永元(1624)年、二代藩主忠直が乱心から隠居、豊後に配流になるると、越後高田より三代藩主松平忠昌が56万石で入封した。 忠昌は、北の文字は敗北に通じて不吉であるとして「福居城」にと改称され、更に現在の「福井城」と改称された。 寛文9(1669)年、寛文の大火で天守を焼失し、財政難と幕府への遠慮の両面から、天守は再建されなかった。 以後、福井松平氏が藩主であったが、6代綱昌の行動に不審な点が多く、大藩の藩主としては置けないと言う事で、領国を没収、あらためて5代藩主昌親を、半知の25万石で封じた。 福井松平氏でこの後登場するのは、17代慶永(春嶽)であるが、田安家から養子として入っている。 福井城は、この慶永の下で明治維新を迎える。 |
| 現 況 |
城址は福井市街の真中に陣取り、本丸の石垣・水濠が残されている。 城址には福井県庁・議事堂・県警本部が置かれており、現在でも県政の中心地となっている。 現在多くの城では、城内の施設を郊外に移し(金沢城など)、城址を観光地化している中で、いまだこの姿勢を崩さない稀有な県である。 |
![]() 日向門付近石垣 |
![]() 瓦御門付近石垣 |
![]() 南面石垣と水濠 |
![]() 巽櫓石垣と水濠 |
![]() 巽櫓石垣と水濠 |
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![]() 東面石垣と水濠 |
![]() 艮櫓石垣と水濠 |
![]() 東面石垣と水濠 |
![]() 不明門跡 |
![]() 北面石垣と水濠 |
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![]() 不明門出桝形 |
![]() 天守台北面 |
![]() 天守台石垣と水濠 |
![]() 西面石垣と水濠 |
![]() 天守台西面 |
![]() 控天守天守台 |
![]() 西面内側石垣 |
![]() 埋門虎口 |
![]() 埋門跡 |
![]() 舎人門・養浩館 |
![]() 本丸御殿(瑞源寺) |
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