帝國博物学協会
越前國
北ノ庄城
 所在地 福井県福井市中央1-21-17
 交通機関 JR福井駅下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 天正3(1575)年、越前・加賀の一向一揆を滅ぼした織田信長は、北陸経営の拠点として、織田家筆頭家老柴田勝家を、近江長光寺城から越前国主に抜擢してに封じた。
勝家は、便の悪い一乗谷を嫌い、足羽川と吉野川の合流点に北ノ庄城を築城した。
天正9(1581)年、北ノ庄を訪れた宣教師、ルイス・フロイスの書簡にはこの城が石瓦で葺いてあった事が記されている。
勝家は、この城を拠点として、織田軍北陸方面軍を率いて、越中魚津まで勢力を伸ばした。
勝家の運命が変わったのは、天正10(1582)年、本能寺の変で、主君信長が横死してからであった。
山崎で明智光秀を討った羽柴秀吉が勢力を伸ばし、勝家と対立した。織田家の後継者を決める清州会議で、勝家は信長の三男信孝を次期当主として担いだが、信長の摘孫三法師を担いだ秀吉に主導権を奪われる事となった。
勝家は信長の妹お市を妻として迎えると、反秀吉勢力を結集し、天正11(1583)年、近江賤ヶ岳で戦端を開いたが敗北、北ノ庄城に退くと大いに戦い、妻お市共々滅び去った。
北ノ庄城は、小早川隆景の書簡に、「天守を上げ候」と記されているが、この時に炎上し、一旦は廃城になった。
 現  況 現在柴田神社がある付近を、北ノ庄城址公園として、発掘・整備されている。
この境内から、北ノ庄城石垣の根石が発掘されており、発掘時の状態で展示されている。

北ノ庄城址

石垣根石

北ノ庄城址公園
と柴田神社

石垣根石

柴田勝家銅像と
城址碑
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