帝國博物学協会
越前國
丸岡城
 所在地 福井県坂井市丸岡町霞
 交通機関 JR福井駅下車 京福バス 本丸岡方面行 丸岡城下車 徒歩5分
 別  名 霞城・霞ヶ城
 略  歴 天正3(1575)年、越前一向一揆討滅のため/織田信長の武将、柴田勝家が派遣された。柴田勢は一揆の拠点豊原の堂塔伽藍を悉く焼き払った
この戦功により、勝家に越前が与えられると、甥の勝豊を豊原に派遣、翌天正4年、勝豊は丸岡に築城を開始した。
本能寺の変後、勝豊が近江長浜城に移ると、安井家清が入った。
勝家が秀吉との戦いに敗れて滅亡すると、丹羽長秀がかわって越前に入り、丸岡城には青山修理亮宗勝が入った。
青山氏は関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易となり、かわって結城家家臣の今村盛次が入城した。
慶長17(1612)年、盛次が越前騒動に連座して失脚したため、本多成重が入城した。成重は一筆啓上で有名本多重次の子である。
元禄8(1695)年、4代重益の時にお家騒動が勃発して改易となった。
替って有馬清純が越後糸魚川より5万石で入封し、以後6代176年の間、有馬氏に治められて明治維新を迎えた。
 現  況 現在、城址は丸岡城址公園として、天守郭・本丸の石垣などがよく残っている。
天守は福井大地震の際倒壊したが、古材を用いて再建され、現存最古とされている。
城址周囲を道路が五角形に廻っており、埋め立てられはしたものの、往時の城域を示している。(地図参照)

丸岡城址碑

丸岡城天守

太鼓門跡

天守郭石垣

本丸土塁

天守郭登城口

天守背面石垣

太鼓門跡

天守郭石垣

天守郭跡

丸岡城天守

本丸跡

内堀石垣
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