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| 所在地 | 北海道松前郡松前町松城144 |
| 交通機関 | JR津軽海峡線 木古内駅下車 函館バス 松城下車 徒歩5分 | 別 名 | 松前城・福山館 |
| 略 歴 |
福山城は、松前慶広によって、慶長5(1600)年に築城を開始、慶長11(1606)年、福山館として完成した。 松前氏は慶広の代まで蛎崎氏を称し、大館を本拠としていたが、豊臣政権が成立した後、これに臣従した慶広は、慶長4(1599)年松前氏に改姓し、本拠とするために福山館を築いたのである。 幕末、文化4(1807)年になると、ロシア船の出現に備えるため、松前氏を陸奥伊達郡梁川9000石に移し、蝦夷を直轄領とした。 文政4(1821)年、北方警備の支出に耐えられなくなってきた幕府は、蝦夷地の支配を松前氏に戻し、福山館に復帰させると共に、嘉永2(1849)年、藩主松前崇広に福山館の大改築を命じた。 崇広は、福山館を海防を重視した縄張りに大改修、三之丸や城外に台場を築き、大砲を備えた。 明治元(1868)年、明治新政府と対立した榎本武揚、土方歳三らが率いる旧幕府軍の勢力が函館五稜郭を根拠に、新たに政府を設立した。 松前藩は勤王派の正義士が藩政を掌握、明治新政府に恭順を示したため、旧幕府軍の土方らの攻撃を受けて落城した。 翌明治2年、函館攻撃に向かう明治新政府軍は、松前城を奪回、函館戦争で旧幕府軍が壊滅すると、明治6年に廃城となった。 |
| 現 況 |
城址は松前公園として、本丸・東郭などの曲輪が整備されている。 天守は昭和24年に焼失したが、、昭和35年に鉄筋で外観復元され、内部は松前城資料館となっている。 本丸には本丸大手門が現存しており、その前には本丸御殿の車寄せが移築されている。 平成12年、東郭搦手ニの門及び外堀・土塁が再建され、平成14年には三之丸天神坂門、七番砲台などが再建された。 |
| 三之丸 | ||
![]() 三之丸南西端 |
![]() 番所跡 |
![]() 五番砲台跡 |
![]() 七番砲台跡 |
![]() 鉄砲置場跡 |
![]() 天神坂門 |
![]() 天神坂門 |
![]() 天神坂口 |
![]() 大松前川 |
| 北郭 | ||
![]() 北郭石塁 |
![]() 北郭 |
![]() 北郭石塁 |
![]() 二重櫓櫓台 |
![]() 二重櫓櫓台より 搦手門を望む |
| 東郭 | ||
![]() 二之丸石垣 |
![]() 大手前堀跡 |
![]() 大手門跡 |
![]() 太鼓櫓跡 |
![]() 東郭水濠 |
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![]() 東郭水濠 |
![]() 搦手門 |
![]() 搦手門 |
![]() 搦手門 |
![]() 搦手ニ之門 |
![]() 東郭東側水濠 |
![]() 東郭東側空掘 |
| 大手外の郭群 | ||
![]() 二之丸南の 郭石垣 |
![]() 福山城址碑 |
![]() 水濠跡 |
![]() 大手前濠跡 |
![]() 二之丸南の郭 |
![]() 二之丸南の郭 |
![]() 二之丸南の郭 |
![]() 二之丸南の郭 |
![]() 主郭へ |
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