帝國博物学協会
蝦夷國
五稜郭
 所在地 北海道函館市五稜郭
 交通機関 函館市電 2系統 五稜郭公園前下車 徒歩10分
 別  名 亀田役所土塁
 略  歴 安政4(1857)年、日米和親条約締結によって箱館が開港された。
幕府は、北辺警備の強化の為、武田斐三郎の設計により、安政4(1857)年から五稜郭の築城を開始し、元治元(1864)年に完成した。
これにより函館山の麓に置かれていた箱館奉行所が郭内に移されて、奉行小出秀実がここで執務を開始した。
慶応4年、幕府の大政奉還を受けて、五稜郭は明治新政府が接収、清水谷公考を府知事に任命した。
翌明治元(1868)年、旧幕府の海軍副総裁榎本武揚らが五稜郭を占領、蝦夷共和国の成立を宣言して、明治新政府に対抗した。
蝦夷共和国は、五稜郭を政庁とし、榎本武揚が総裁とし、大鳥圭介を陸軍奉行、元新撰組副長土方歳三を陸軍奉行並として発足した。
明治2年、明治新政府は蝦夷共和国を攻撃、衆寡敵せず土方らが戦死、榎本武揚は降伏し、函館戦争は終わった。
明治4年、五稜郭内部の建物は順次取り壊され、廃材は開拓使官舎等に使われた。また、郭内は陸軍省の管轄下に置かれ、要塞兼練兵場として利用されていたが、大正3(1914)年、公園として一般に公開され、要塞としての使命を終えた。
 現  況 五稜郭公園として公開されており、星型の石塁・水濠がよく残されている。
新たに建てられた五稜郭タワーからは、以前のタワーより高い位置より望めるため、星型の遺構が良くわかる。
また、現在函館奉行所の建物を復元すべく、準備されている。
郭外土塁

北東側土塁

南東側土塁

西北側土塁
半月堡

半月堡先端

西側水濠

濠水取入口

五稜郭址碑

一の橋

半月堡台場前
西側空掘

半月堡東側
堡塁と空掘

砲台跡

半月堡東側橋台

西側水濠

砲台跡
外周

南側塁濠

南側塁濠

南西角塁濠

南側塁濠と
二の橋

西側凹面塁濠

西北面塁濠

北西角塁濠

裏門橋付近塁濠

北西側塁濠

北東側塁濠

北東角塁濠

東北面塁濠

東北門跡橋台

東北面塁濠

東南角塁濠

東南側塁濠

南東側塁濠

南側塁濠と
二の橋

郭内へ
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