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| 所在地 | 熊本県八代市松江城町ほか |
| 交通機関 | JR八代駅下車 産交バス八代宮前車 徒歩5分 |
| 別 名 | 松江城・白鷺城 |
| 略 歴 |
元和5(1619)年、麦島城が地震で倒壊すると、熊本城二代藩主の加藤忠弘が、島津氏に対する備えとして、幕府に建築を願い出て許可された。 忠広は、重臣の加藤正方に命じて築城をを開始、元和8(1622)に完成した。 寛永9(1619)年、加藤忠広が改易されると、熊本城には豊前小倉城から細川忠利が入城、八代城には隠居の忠興(三斉)が、中津城から入城した。 正保2(1645)年、忠興の死後、八代城には細川家筆頭家老の松井興長が三万石で入城し、熊本城の支城として、島津氏に備えた。 寛文12(1672)年には、落雷により天守などが焼失した。 八代城は、その後松井氏が10代に渡り城主を務めた。 松井氏は、表向きは熊本藩の支城を預かっているだけであったが、実質上は徳川幕府からも城主として待遇されていた。 八代城が廃城になったのは、明治3(1870)年の事である。 |
| 現 況 |
城址には旧北の丸には松井社が、旧本丸が八代社という神社の境内になっており、八代社の前には八代城の復原図が立てられて、往時の様子がよくわかる。 現在の八代社正面は、本来の門があった場所ではなく、明治以降に石垣を破壊して新たに作った入口である。 八代社背後は公園として開放されているが、公園管理の建物や資材が城としてのメインの天守付近に陣取っているのが残念である。 |
| 北の丸 |
![]() 北の丸北東角 石垣 |
![]() 北の丸東石垣 |
![]() 北の丸東石垣 |
![]() 北の丸南東 石垣 |
![]() 松井社境内 |
![]() 北門太鼓橋 |
![]() 北の丸北面 水濠 |
![]() 北の丸北面 水濠 |
![]() 北門太鼓橋 |
| 本 丸 |
![]() 三階櫓櫓台 石垣 |
![]() 高麗門外虎口 |
| 天守群 |
![]() 大天守台石垣 |
![]() 小天守台石垣 |
![]() 小天守台石垣 |
![]() 小天守入口 |
![]() 小天守台 |
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![]() 渡櫓跡と 大天守入口 |
![]() 渡櫓跡から見た 小天守 |
![]() 大天守穴倉から 登る階段 |
![]() 大天守天守台上 |
![]() 大天守より 見た唐人櫓跡 |
![]() 小天守入口 |
![]() 唐人櫓から 小天守入口 を望む |
![]() 八代城復原図 |
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