帝國博物学協会

常陸國
水戸城
二之丸 江戸氏時代の三之丸であり、佐竹氏時代の二之丸で、宿城・天王曲輪と呼ばれていた。
近世水戸藩時代には、御三家の威光を示す御三階櫓や、政庁となる御殿が置かれていた。
水戸藩は基本的には常府大名であったため、藩主がこの地で政務を執ることはなかった。
二之丸大手門脇には彰考館が置かれ、この地で「大日本史」編纂の大事業が行われていた。
大手虎口・土塁が良く残されているが、郭内は全て学校・幼稚園の文教地区となっており、校内に立ち入る事はできない。

二之丸空掘と
櫓台

二之丸南側
切岸

二之丸南側
切岸

二之丸南西角櫓
櫓台

西面出隅土塁

二之丸空堀
(県道232号)

大手橋

大手虎口

二之丸空堀
(県道232号)

二之丸空堀
(県道232号)

大手虎口土塁

水戸頼房公銅像

水戸城案内板

大手虎口

大手虎口土塁

大手虎口

西北側土塁

西北側土塁

彰考館跡

大日本史編纂
之地石碑

彰考館見取図

彰考館跡案内板

御三階櫓案内板

祠堂跡案内板

二之丸

御殿・中門跡

水戸城跡の大椎

水戸城跡の大椎
案内板

杉山門脇土塁

祠堂北東土塁

祠堂北東土塁

杉山門坂

杉山門跡

杉山門跡案内板

棚町坂下門跡
案内板

棚町坂下門跡

棚町坂

棚町坂門跡

水戸三高
本丸 本丸は佐竹氏時代は内城・江戸氏時代は実城と呼ばれていた。本丸の堀には水郡線の線路が通っている。
本丸の西北・西南には櫓が設けられていたが、近世は蔵が置かれていた程度であった。
本丸大手に当る橋詰門虎口及び西側土塁・櫓台土塁などの遺構が残されている。
現在は水戸一高の校内になっており、一時移築されていた橋詰門と言われる薬医門が、旧位置ではなく校内に移築・保存されている。
校内が、史蹟訪問者には開放されているのが嬉しい。

本丸堀
(JR水郡線)

物見櫓跡

本丸西側土塁

北西隅櫓跡

本丸堀(JR水郡線)

橋詰門橋

橋詰門橋

橋詰門跡

橋詰門虎口

水戸城案内板

橋詰門虎口

西側土塁

橋詰門

橋詰門
(裏側)

薬医門説明版

橋詰門南側土塁

橋詰門南側土塁

橋詰門南側
土塁上

橋詰門南側
土塁上

物見櫓櫓台

武石浩玻銅像

物見櫓台土塁

橋詰門北側土塁

橋詰門北側
土塁上

北西隅櫓櫓台

北側土塁

本丸内

南側土塁跡

東側切岸
下之丸 東二之丸とも浄光寺曲輪とも呼ばれており、大掾馬場氏の頃の居館が置かれていた場所と推定されている。
舌状台地の先端にあり、防御性は高いが占地面積が狭いため、藩政期には利用されなかった。
現在は水戸一高のグラウンドになっている。

下之丸と本丸
切岸

下之丸跡

下之丸南土塁

下之丸南切岸

北廊下橋

下之丸南土塁

下之丸東土塁

下之門跡付近

下之丸東土塁

下之丸東切岸
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