帝國博物学協会
常陸國
土浦城
 所在地 茨城県土浦市中央一丁目他
 交通機関 JR土浦駅下車 バス亀城公園前下車 徒歩5分
 別  名 亀城
 略  歴 土浦城の創築については明らかではないが、室町時代の永享年間(1429-1140)若泉三郎により築かれたようである。
一説には天慶年(938〜47)間に、平将門によって砦が築かれたという伝説も伝わるが、定かではない。
永正3(1506)年、若泉五郎左衛門が城主の時に、菅谷勝貞が土浦城を奪取した。
菅谷氏は小田城の小田氏の配下で、信太範貞が城主となり、その後菅谷勝貞(範貞の養子)の居城となった。
弘治2(1556)年、小田氏は南下する佐竹勢に圧迫され、小田氏治は居城の小田城から逃れて土浦城に入城した。
小田氏はその後小田原北条氏に属して佐竹氏の勢力に対抗した。
天正13(583)年、小田氏治は佐竹氏の勢力に降ったため菅谷範政もこれに従った。
天正18(1590)年、菅谷範政は豊臣秀吉の小田原の陣の際には、佐竹氏叛旗を翻して北条方として参戦したため、佐竹義宣らの軍勢に攻められて戦後領地を没収された。
江戸城に入った徳川家康は、土浦城を次男秀康の結城城の配下に置いた。
慶長5(1600)年、秀康は越前北ノ庄城に転封となり、土浦城には下総布川から松平(藤井)信一が3万5千石で入城した。
元和3(1617)年、上野高崎城5万石に転封となり、替わって西尾忠永が上野白井城から2万石で入封した。
慶安2(1649)年、2代藩主忠照は、駿河田中城に転封となり、下野鹿沼から朽木稙綱が3万石で入封した。
朽木氏2代稙昌は、寛文9(1669)年に丹波福知山城に転封となり、土屋数直が4万5千石で入封した。
天和2(1682)年、2代政直は駿河田中城に転封となり、替わって松平(大河内)信興が2万2千石で入城するが5年後の貞享4(1687)年に、大坂城代となって移封となり、再び土屋政直が入封した。
その後土屋氏が10代に渡って城主となり、10代挙直の時に明治維新を迎えた。
明治になると本丸を除いてほとんどの曲輪が破壊された。
 現  況 現在城址は県指定史跡に指定され、本丸・二之丸が亀城公園として整備されている。特に櫓門は関東に残る櫓門遺構としては随逸のもので霞門と呼ばれ、二之丸跡に移築された前川御門及び再建された東・西櫓とともに城跡の景観を保っている。
大手門・搦手門・北門・南門・西門跡には碑が立てられている。西門近くに藩校郁文館正門が残されている。

二之丸門跡に
移築の前川橋門

亀城碑と
二之丸土塁

二之丸
土塁

二之丸・亀之
井郭間の水濠

本丸東櫓
と水濠

二之丸
仕切門跡

本丸水濠

本丸太鼓門

本丸霞門

土浦城址碑

本丸土塁

本丸と西櫓

本丸西櫓

二之丸から
見た西櫓

本丸から見た
本丸東櫓

本丸水濠

二之丸水濠

大手門跡

搦手門跡

南門跡

北門跡

西門跡

藩校
郁文館正門
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