帝國博物学協会
肥前國
姉川城
 所在地 佐賀県神埼市神埼町姉川
 交通機関 JR長崎本線 伊賀屋駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 姉川城は、正平15(1360)年、肥後の名族菊池氏の一族、菊池武安が築城したとされている。
武安は肥前の少弐氏を攻撃、仁比山城を本城とし、支城として姉川城、本告城、松崎城、横大路城、菩提寺城などを整備した。
武安は肥前の勢力を撃破したが、少弐頼尚によって仁比山城を攻略され、姉川城に撤退した。
武安は姉川城を居城とすると、姉川氏を称した。
武安の子友安は、永享6(1343)年、西島城主横岳頼房と共に少弐家再興のため尽力し、少弐氏の家臣に組み込まれていった。
享禄3(1530)年、大内義隆勢が少弐資元を攻めてきた際には、姉川惟安ら少弐方各将は田手畷で大内勢を撃破している。
天文20(1551)年、大内義隆が家臣陶隆房の謀叛で滅亡すると、土橋栄益は龍造寺鑑兼を推して後援者の大内氏を失った龍造寺隆信を佐賀城に攻めた。 この戦いでは惟安は土橋軍に味方しているが、天文22(1553)年、龍造寺隆信が佐賀城を奪還すると、これに従った。
隆信が勢福寺城を攻撃した際には、姉川城に滞在して本陣としたと伝わっている。
姉川城がいつ廃城になったかは不明だが、元亀3(1572)年、隆信が朝日山城を攻略し、信安に米田の地が与えられ姉川を去った時であろうと思われる。
 現  況 姉川城は、佐賀平野特有のクリークに築城された城郭で、その遺構はよく残されている。
周囲には「小路屋敷」「妙法寺」「観世音寺」「奥館」と呼ばれる島が存在している。
最大の島は「館」と呼ばれる島で、ここからは大規模な建物跡や門跡の存在が確認されている。
城主である姉川氏の居館は、この「館」島に存在していたと考えるのが妥当であろう。

]X曲輪南側
水濠

]X曲輪南西側
水濠

]X曲輪西側
水濠

構口跡標柱

構口跡

]T曲輪西南側
水濠

]T曲輪北南側
水濠

]T曲輪北側
水濠と]曲輪(奥)

]T曲輪南側
水濠

]T曲輪(右)と
]X曲輪(左)

]X曲輪北側
水濠

]T曲輪南東側
水濠

]U曲輪北側
水濠

]T曲輪・V曲輪
間の水濠

]T曲輪東側

V曲輪西側

Y曲輪・Z曲輪
間の水濠

Y曲輪

X曲輪・Y曲輪
間の水濠

X曲輪

W曲輪南側

W曲輪南側の
小島

姉川城跡案内板

姉川城址標柱

V曲輪

天満宮

U曲輪南西側

U曲輪南西側

U曲輪

T曲輪・V曲輪
間の水濠

T曲輪南側と
\曲輪(奥)

T曲輪南側と
水濠

T曲輪

T曲輪

W曲輪

W曲輪東側水濠
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