帝國博物学協会
肥前國
諫早陣屋
 所在地 長崎県諫早市東小路町
 交通機関 島原鉄道 本諫早駅下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 築城年代は定かではないが戦国初頭(1500年頃)に西郷尚善が屋敷を構えたとされる。
天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州征伐の際に参陣しなかったため、西郷氏は所領没収となり、筑後柳川城から龍造寺家晴が10000石で、高城に入封した。
家晴は高城を居城としたが、政庁としてこの地に壮大な屋敷を構えたといわれている。
慶長12(1607)年、家晴の子直孝は龍造寺本家が断絶したため諫早氏に改姓し、佐賀藩鍋島氏を主君とし、その家老職となった。
諫早氏は一国一城令の後も諫早陣屋を居城としていたが、五代茂門の頃になると城も老朽化してきていたが、財政難のため建て替えることができず、維持できなくなった。
茂門は、高城を廃城として東麓の諫早陣屋を政庁とした。
以後明治維新を迎えるまで、代々諌早氏がこの地を治めた。
 現  況 陣屋跡は長崎県立諫早高等学校の構内になっており、学校の周囲に石垣や堀が残されている。
校内には外観が近代的となった御書院と庭園が残されている。
折角の歴史遺産なので、御書院はできれば旧状に復元して欲しいものである。
なお、現在御書院と庭園は無料で開放されており、見学する事が可能である。

西側土塀・石垣
と空掘

西側土塀・石垣
と空掘

南西側の用水

南西側の用水

南側の用水

南側の用水
と石塁

高城廻廊

東側

東側

北東側空掘

北東側空掘と
石垣

北東側空掘と
石垣

北側空掘と
石垣

北側空掘と
土塁

北側空掘と
石垣

北側空掘と
石垣

北側空掘と
石垣

北側空掘と
石垣

北側空掘と
土塀

陣屋北西側

南側土塁

南側土塁

庭園

庭園

庭園

庭園

御書院

御書院
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