帝國博物学協会
肥前國
玖島城
 所在地 長崎県大村市玖島
 交通機関 JR大村線 大村駅下車 徒歩25分
 別  名 大村城
 略  歴 慶長3(1598)年、豊臣秀吉の死後、徳川家康を擁く勢力と、石田三成を中心とする勢力が、天下の覇権を巡って睨みあい至った。
こうした政情不安に備えるため、大村喜前は新たな居城として玖島城の築城に着手した。
翌慶長4年、喜能は居城を三城城から玖島城に移した。
大村氏は関ヶ原合戦では東軍に属したため、領地は安堵された。
玖島城は、慶長19(1614)年に2代純頼によって改修されたが、この時には加藤清正により支援を受けたとされている。
大村氏はこの後12代に渡って玖島城を居城とし、12代純熈の時には薩摩藩・長州藩と共に倒幕の一翼を担った。
 現  況 城址は現在大村公園なっており、本丸・二之丸の石垣や御船蔵跡、梶山御殿などの遺構が残されている。
城の構造は、大村湾に突き出した半島に築城された連郭式平山城である。
二之丸に板敷櫓や土塀が復元されており、本丸の土塀も復元されている。
現在本丸は大村直澄以来の大村氏歴代の霊を祭神とする、大村神社の境内となっている。
藩校五教館 藩校五教館は、4代藩主大村純長が寛文10(1670)年に、城内に創設した藩校集義館を始めとし、武士の師弟のみではなく、広く一般の聴講を許した事に始まる。
元禄7(1694)年、静寿園と改めて桜田に移された後、天保2(1831)年に、現在の大村小学校の地に移され、幕末・明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した。

御成門

御成門
桜田屋敷 延宝年(1673-1681)間、この地に桜数百株などを植え、元禄15(1702)年には築山や池を造り、花林軒と名付け宴遊の地とした。
なお、庭園は国道の拡幅工事により半分近くが消滅しており、日本の文化財行政の貧困さを示した遺構である。

桜田屋敷跡

桜田屋敷庭園
外郭

角堀

角堀

角堀

角堀

角堀

角堀

大手入口門跡

二重馬場跡

二重馬場跡

角堀西岸

土塁跡(角堀西岸)

土塁跡(角堀西岸)

土塁跡(角堀西岸)

土塁跡(角堀西岸)

長堀

長堀

長堀

長堀

新蔵波止

新蔵波止内

新蔵波止外

御船蔵跡
御船蔵 御船蔵は、4代藩主大村純長が元禄年(1688-1703)間に築造したもので、藩主の御座船を始め藩の御用船を格納されていた。
当時は風雨を避けるために石垣の上に柱を建て、屋根で覆っていたと思われ、柱穴の跡が石垣に残っている。
御船蔵の後ろには米蔵や硝煙小屋があり、海を挟んで正面には船役所が置かれていた。

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

御船蔵跡

船役所遠望

三之丸・二之丸
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