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| 所在地 | 佐賀県神埼市神埼町本告牟田 |
| 交通機関 | JR長崎本線 神埼駅下車 西鉄バス 大町橋下車 徒歩5分 |
| 別 名 | 本告牟田城・牟田城 |
| 略 歴 |
永久年(1113-18)間、鳥羽天皇が櫛田宮を修造した際に、伴兼直と本告道景を勅使別当職として下向させた。 この本告道景が本告氏の祖であり、その居城が本告城であった。 本告氏は櫛田・高志・白角折の三社の神職を務め、建長元(1249)年には本告季能が、鎌倉幕府から正式に櫛田宮の宮司職に補任された。 こうして本告氏は勢力を伸張させていった。 南北朝期には、南朝方の肥後菊池氏に少弐氏が対立したが、本告氏は少弐氏に与して戦った。 戦国期になると、天文22(1553)年、村中城に入った龍造寺隆信が蓮池城を攻めた際には、本告城主の本告頼景が攻城軍として討たれて戦死している。 永禄元(1558)年、小曲城の小田政光を先陣として、龍造寺隆信が勢福寺城を攻めた際に、本告義景は従軍して討死した。 その後、本告氏は龍造寺氏の配下に属し、龍造寺隆信・政家の頃の知行帳には、本告左馬大夫信景が神埼郡本告で三百町を領していると記されている。 |
| 現 況 |
本告城跡は、自得寺境内とその周辺であるが、周囲は圃状整備により遺構は多く失われているが、自得寺南側の水濠にその遺構が垣間見えるだけである。 自得寺境内には本告城址であることを示す案内板が立てられている。 |
![]() 城址南側水濠 |
![]() 城址遠望 |
![]() 案内板 |
![]() 城址南側水濠 |
![]() 城址南側水濠 |
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