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| 所在地 | 佐賀県鹿島市大字常広字古城420番地 |
| 交通機関 | JR長崎本線 肥前鹿島駅下車 徒歩20分 |
| 別 名 | 恒広城・鹿島古城 |
| 略 歴 |
常広城の創築年代はよくわかっていない。 鹿島付近は、中世以降大村氏の勢力範囲であったが、戦国期になって有馬氏が勢力を伸ばすと、有馬氏の勢力範囲に取り込まれた。 天正4(1576)年、龍造寺隆信が藤津郡に侵攻して有馬氏の勢力を駆逐し、藤津郡の中心の鹿島常広城を奪取、鍋島直房を入れて統治した。 慶長14(1609)年、佐賀藩祖鍋島勝茂は、弟の忠茂に鹿島25000石を分知し、佐賀藩支藩として鹿島藩が成立した。 忠茂は居城を常広城に置いて統治した。 承応元(1652)年、3代藩主直朝は常弘城を拡張したが、鹿島川・塩田川の水害が度々発生して悩まされた。 文化4(1807)年、9代直彜の時、水害を避ける事を目的に新城の築城を、幕府と佐賀本藩に願い出て許可された。 直彜は高津原の丘陵に新たな城を定めて築城を開始、新たに鹿島城が完成して移城し、常広城は廃城となった。 |
| 現 況 |
城址は鹿島北小学校になっており、門前に案内板が立てられている。 校門は鹿島城の城門を模した造りとなっており、小学校西側の用水路は堀跡である。 |
![]() 常広城遠望 |
![]() 城址東北側 |
![]() 城址東南側 |
![]() 曲輪内 |
![]() 西側堀跡 |
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![]() 城址南側 |
![]() 西側堀跡 |
![]() 西側堀跡 |
![]() 西側堀跡 |
![]() 校門 |
![]() 校門前の石碑 |
![]() 鹿島古城址碑 |
![]() 校門内側 |
![]() 石樋 |
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