帝國博物学協会
肥前國
八戸城
 所在地 佐賀県佐賀市八戸1
 交通機関 JR長崎本線 佐賀駅下車 佐賀市営バス 地蔵前下車 徒歩5分
 別  名 -
 略  歴 八戸氏は高木城の高木氏の一族、於保氏を出自とする。
龍造寺家兼の娘婿であった於保胤宗(八戸右エ門太夫)の孫である、八戸下野守宗睗の頃が八戸氏最盛期であった。
宗睗は龍造寺隆信の姉を妻として娶っていたが、妻の実家である龍造寺氏と対立して争った。
弘治4(1558)年、龍造寺隆信が八戸城に宗睗を攻め、敗れた宗睗は城を捨てて逃れ、八戸城は破却された。
元亀元(1570)年、豊後大友氏が佐賀城に龍造寺隆信を攻めた今山の陣の際には、宗睗は大友軍に参陣した。 今山の陣では大友軍が龍造寺氏の家臣鍋島直茂の奇襲によって壊滅、宗睗も負傷し、その傷がもとで死亡した。
宗睗の嫡子八戸助兵衛宗春は、隆信の母慶聞尼の助力によって死を免れたが、八戸氏を称する事を許されず、姓を山本に変更させられた。
宗春の孫が、葉隠の口述者山本常朝である。
 現  況 八戸城は、三重の堀が正方形に近い形で城跡を取り囲む縄張りであり、現在でもその外郭線を追う事が可能である。
主郭と思われる場所は住宅地となっているため、龍雲寺が城址とされている。
龍雲寺の周囲には水濠遺構がよく残っており、また境内には山本常朝一族の墓地や、葉隠の碑も立てられている。
龍雲寺裏側には土塁らしき高まりも見ることができる。

龍雲寺西北側
水濠

龍雲寺西北角
水濠

龍雲寺北西側
水濠

龍雲寺東南側
水濠

龍雲寺遠望

龍雲寺東南側
水濠

龍雲寺東北側
水濠

東濠の橋

龍雲寺参道

龍雲寺本堂

龍雲寺本堂裏

龍雲寺北東側

北側の土塁

北側水濠と土塁

葉隠の碑
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