帝國博物学協会
日向國
天ヶ城
 所在地 宮崎県宮崎市高岡町内山 
 交通機関 JR日豊線 宮崎駅下車 宮崎交通バス デパート前乗換え 高岡小学校前下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 天ヶ城は近世初頭に築城された珍しい山城である。
薩摩の島津義弘は、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦に西軍として参戦、総大将石田三成の要請にも拘らず洞ヶ峠を決め込んでしまった。
戦は松尾山の小早川秀秋の裏切りで、東軍の徳川家康が大勝、義弘は敗軍の中兵を纏めて敵陣中央を強行突破して退陣した。
薩摩へ引揚げる途中の島津軍が、日向八代村に宿泊した際、伊東氏の旧臣で清武城主であった稲津掃部介が義弘を討つべく挙兵した。
島津方は本領からの援軍によって、稲津氏の兵を食い止め、義弘は兵数十名を引き連れてようやく八代村を脱出し、本領に戻る事ができたといわれている。
義弘は伊東氏に対しての備えとして天ヶ城を築城、城将として比志島国貞を入れると共に、多くの武士を強制移住させた。
元和元(1615)年、徳川幕府は一国一城令を施行したため、天ヶ城は廃城となった。
しかし、移住した武士は天ヶ城の山麓に高岡御仮屋と呼ばれる居館を築いて高岡麓という集落を築いて土着していった。
 現  況 天ヶ城址は、7つの曲輪から成っていたことが、発掘や研究などから判明している。
現在天ヶ城運動公園として整備されており、本丸には模擬天守が建てられており、天ヶ城歴史民俗資料館として利用されている。
本丸の一部にはパターゴルフ場が造られており、城址の雰囲気を壊している(運動公園だから仕方ないんですが…)。
一番城跡らしいところは、三之丸と出城の部分であり、大手門跡には脇土塁もしっかり残されている。
山麓番所

登城路

番所切岸

山麓番所跡

山麓番所跡
出城腰曲輪

南東側切岸

南東側切岸

腰曲輪

腰曲輪

腰曲輪入口
大手門跡

大手門跡

大手門跡
出城

北側切岸

西側切岸

西側切岸

出城虎口

天ヶ城址標柱

出城

出城

出城

出城

出城遠望

三之丸・二之丸・本丸
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