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| 所在地 | 宮崎県東諸県郡綾町大字北俣 |
| 交通機関 | JR日豊線 宮崎駅下車 宮崎交通バス デパート前乗換え 綾待合所下車、徒歩10分。 |
| 別 名 | 龍尾城 |
| 略 歴 |
元弘年(1331〜1334)間、足利尊氏の家臣細川小四郎義門が、日向に下向、子義遠が綾城を築いたと伝わっている。 以後義遠は、綾氏を称した。 綾氏は土着し、代々龍尾城を居城としたが、15世紀半頃には都於郡城を本拠都する伊東氏の家臣となっていたと考えられる。 龍尾城は伊東氏48城に数えられており、日向有数の城として整備されたと考えられる。 永禄年(1558〜70)間には佐土原遠江守が城主であったと記されている。 天正5(1577)年、薩摩の島津氏が日向に侵攻を開始すると、伊東氏16代義祐が迎え撃つが伊東崩れで敗北した。龍尾城の佐土原遠江守は義祐を綾城に迎えて最後まで忠義を守ったが、島津氏の攻撃に耐え切れずに綾城は落城した。 島津義久は綾城に家臣新納久時を入れ、日向侵攻の拠点とした。 天正15(1587)年、豊臣秀吉が自ら本格的に九州征伐に乗り出した。 日向へは弟秀長を総大将として軍を進め、都於郡城で島津義久が迎え討った。 龍尾城は都於郡城の背後を固める重要な城であったが、実際に戦うことなく開城した。 島津氏の敗北したが、龍尾城は島津氏の支配地として残った。 島津氏は城代を入れて支配したが、元和元(1615)年、一国一城令により廃城となった。 |
| 現 況 |
綾城址は、4つの曲輪から成っており、現在一曲輪には初期望楼型の模擬殿主が建てられており、冠木門なども模擬復元されている。 また、冠木門付近には土塁が良好に残されている。 一曲輪・ニ曲輪・三曲輪が綾城址として有料公開されており、曲輪間の堀などの遺構が良く残されている。 ニ曲輪・三曲輪には土塁や城門なども復元されており、四曲輪は「国際クラフトの城」の無料駐車場となっている。 |
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![]() 綾城遠望 |
![]() 四曲輪釣橋上 から主郭を望む |
![]() 四曲輪 |
![]() 四曲輪 |
![]() 四曲輪 |
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![]() 堀切 |
![]() 切岸と土塁 |
![]() 堀底からの 取り付け道路 |
![]() 龍尾城址碑 |
![]() 三曲輪土塁 |
![]() 三曲輪土塁 |
![]() 三曲輪土塁 |
![]() 三曲輪土塁 |
![]() 三曲輪郭内 |
![]() 三曲輪郭内 |
![]() 刀工田中国廣象 |
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![]() ニ曲輪空掘と 土塁 |
![]() ニ曲輪空掘と 土塁 |
![]() 土橋と復元城門 |
![]() ニ曲輪空掘と 土塁 |
![]() ニ曲輪内土塁 |
![]() ニ曲輪内と 復元城門 |
![]() 土塁 |
![]() ニ曲輪内と 復元城門 |
![]() 本丸側切岸 |
![]() 本丸側切岸 |
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![]() 模擬殿主と橋 |
![]() 一曲輪空掘 |
![]() 一曲輪空掘と 土塁 |
![]() 一曲輪空掘 |
![]() 一曲輪切岸と 空掘 |
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![]() 一曲輪虎口脇 土塁 |
![]() 綾城説明板 |
![]() 一曲輪虎口と 復元冠木門 |
![]() 一曲輪空掘 |
![]() 一曲輪 |
![]() 一曲輪 |
![]() 殿主高欄から 二曲輪を望む |
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