帝國博物学協会
日向國
延岡城
 所在地 宮崎県延岡市本小路
 交通機関 JR日豊線 延岡駅下車 宮崎交通バス 市役所前下車、徒歩5分。
 別  名 県城・亀井城
 略  歴 延岡城は、天平時代、県郡の庄司で古代氏族田部氏の後裔である宇佐八幡宮の神官であった土持氏が、県城を築いたのはじまりといわれている。
治承元(1177)年、土持氏は居城を県城から井上城へ移し、県城は歴史上から消えた。
慶長6(1601)年、豊臣秀吉から日向に封ぜられ、松尾城を居城としていた高橋元種が、県城の跡である城山に築城、慶長8年には移り住んで居城とした。
慶長18(1613)年、罪人を領内に匿ったということで改易になり、翌19年に、肥前日之江城より、有馬直純が県城に入城した。
直純の子康純が、明暦元(1655)年、三階櫓を建築し、城名を延岡城と変更した。
天和3(1683)年の火災で三層櫓は焼失し、以後再建されなかった。
元禄4(1691)年、三代永純は越後糸魚川に転封になり、翌元禄5(1692)年に、三浦明敬が下野壬生より2万3千石で入封した。
20年後の正徳2(1712)年、明敬は三河刈谷に移封、三河吉田城より牧野成央が8万石で入封した。
延享4(1747)年、牧野氏が常陸笠間に移ると、替わって陸奥磐城平より内藤政樹が7万石で入封し、延岡城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎える。
 現  況 延岡城は、現在城山公園として市民に親しまれており、天守台の鐘が時を告げている。
城址は天守台・本丸・二之丸・三之丸からなり、北大手門が復元されている。
本丸の高石垣は千人殺しの石垣と呼ばれており、石垣の基部のどこかを抜くと、一気に石垣が崩れる仕組みとなっていると言われている。
本丸は、岡の上に築かれており、二階門跡の虎口が良く残されている。
また、天守台では虎口が発掘されており、また、天守下の帯郭に三階櫓の櫓台石垣も残されている。
内 郭

延岡城址
城山公園碑

南大手門
冠木門

南大手土塁

三之丸への
登城路

内堀跡

内堀跡

北大手門外石垣

北大手門外石垣

北大手門外石垣
櫓台石垣
三之丸

北側石垣

東側石垣

東側石垣

三之丸跡標柱

三之丸跡

東側石垣

東南角石垣

三之丸跡

三之丸跡
(北張出部)

三之丸跡
(北張出部)

三之丸跡
(北張出部)

三之丸入口
脇石垣

三之丸入口
脇石垣
二之丸

復元北大手門

復元北大手門

北大手から見た
千人殺し石垣

北大手門

二之丸跡

井戸跡

北西二重櫓台

北西二重櫓台上

北西二重櫓台
石垣

北西から
二之丸を望む

北大手西石垣

北大手西石垣

二之丸北面
石垣

二之丸北面
石垣

二之丸北西面
石垣

北西二重櫓台
石垣

北西二重櫓台
石垣

二之丸上段
への階段

二之丸上段
北西角石垣

二之丸上段

二之丸上段

二之丸上段

二之丸上段
より本丸を望む

本 丸
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