帝國博物学協会
日向國
飫肥城
 所在地 宮崎県日南市飫肥
 交通機関 JR日南線 飫肥駅下車 徒歩20分 または
JR日豊線 宮崎駅下車 宮崎バス飫肥城下下車 徒歩10分 
 別  名 舞鶴城
 略  歴 飫肥城の創築時期はよくわかっていないが、貞和2(1346)年、水間栄證法眼父子が築城したとも正平年(1346〜70)間に、土持氏が築いたとも言われている。
飫肥城が史上に登場するのは康安2(1362)年のことで、飫肥城に籠った賊を土持頼宣が打ち滅ぼしている。
以後土持氏が城主として続いたが、都於郡城に本拠を置いた伊東氏の南下に抗しきれなかった。
一方、南から北進する薩摩の島津氏は、長禄2(1458)年、前衛として飫肥城を整備し、志布志城主の新納忠続を飫肥城に入れ、南下する伊東氏の押さえとした。
文明16(1484)年、伊東祐尭・祐国父子が飫肥城を攻撃した。新納忠続はよく戦い、この戦いの最中に祐尭が病死し、翌年の戦いでは祐国が討死している。
この戦いの後、新納忠続は志布志城へ戻り、島津忠廉が飫肥城に入城した。
伊東氏方では、祐国の後継問題で内紛が勃発したが、祐国の子尹祐が跡を継いだ。
伊東氏が再び飫肥城に攻め寄せたのは、天文・永禄年間のことで、当主は伊東氏の最盛期を築いた義祐であった。
天文10(1541)年、義祐は島津忠広を破って飫肥城の占拠に成功したが、維持する事敵わず城は再び島津氏によって奪回されてしまった。
以後、義祐は何度となく飫肥城に攻め寄せたが城将島津忠親はよく防戦し、攻略戦は成功しなかった。
永禄3(1560)年、薩摩守護島津貴久は、子の忠平(義弘)を忠親の養子として飫肥城へ入れ、飫肥城の防備を強化したが、永禄5(1562)年、忠平を鹿児島に帰還させた。
同年、忠親は飫肥城を支えきれず櫛間城に退き、飫肥城は義祐の手に落ちた。
しかし、忠親は飫肥城奪還を諦めた訳ではなく、再度飫肥城の奪還に成功したが、永禄11(1568)年、2万とも言われる伊東軍の猛攻を支られず、伊東氏が三度飫肥城に入城した。
義祐は次男の祐兵を飫肥城の城主として入れ、島津氏の攻撃に備えた。
元亀3(1572)年、伊東氏と島津氏は木崎原で激突し、伊東氏が大敗を喫した。これによって伊東氏の勢力は急速に衰え、天正5(1577)年、義祐が佐土原城都於郡城を捨てて、豊後の大友宗麟を頼って落ち延びて行った。
飫肥城は島津氏の持ち城となり、上原尚近が入城した。
天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州征討で島津氏が薩摩・大隅に押し込められると、九州の所領はこの戦いに軍功のあった諸将や、秀吉子飼の武将に与えられた。
天正16年、飫肥城には嘗ての城主であった伊東祐兵が51000石で入城した。
祐兵は、義祐に従って豊後に逃れたが、大友宗麟が耳川の戦いで大敗して勢力を失ったため、畿内方面に向かい、播磨姫路城に滞在していた秀吉に仕官した。
その後、秀吉に従って転戦して軍功をあげ、遂に飫肥城主として返り咲き、以後代々伊東氏が飫肥を治めた。
寛文2(1662)年、延宝8(1662)年、貞享元(1684)年と三度の大地震で、飫肥城本丸に地割れが発生するなどのは大被害を蒙った。
伊東氏5代藩主祐実は、中之城を削って本丸を造成し、旧本丸虎口に石垣を巡らすなど、近世城郭として飫肥城の再建に着手し、元禄6(1693)年に再建を完了した。
外様小藩であった飫肥城は、代々伊東氏の居城となり、14代祐帰の時に明治維新を迎えた。
 現  況 飫肥城は、本丸が飫肥小学校となっており、日南市最大の観光地と文教地区が完全に融合されている。
城址には飫肥城歴史資料館があり、飫肥城及び城下の歴史を伝えている。
大手口には昭和54(1979)年に飫肥杉で再建てられた櫓門があり、旧本丸北門も再建されている。
中世飫肥上は、シラス台地の台地上に築かれた、南九州特有の群郭式城郭であり、今でも旧本丸・松尾丸・西之丸・松之丸などの遺構が残されている。
また、江戸期の遺構としては、大手門付近の石垣や、旧本丸の大手虎口石垣などの遺構が残されている。
松尾丸には、かつて本丸に建てられていた本丸御殿を再建している。(本丸が学校のため、本丸二再建できないからであろう)
城下には、最後の藩主祐帰が住んだ豫章館や多くの武家屋敷が残されている。
城下

小村寿太郎
旧居跡碑

小村寿太郎公
誕生之地碑

武家屋敷の石積

旧山本猪平家

武家屋敷の石積

大手道

飫肥藩物産方
長倉
豫章館

豫章館門

豫章館

豫章館

豫章館

豫章館庭園

豫章館庭園
大手曲輪

大手櫓門

大手横掘と豫章館
土塀

大手横掘

大手横掘

大手横掘

大手横掘

大手曲輪東側
空掘

大手曲輪東側
空掘

大手曲輪東側
空掘

大手櫓門と
内桝形

内桝形と土塀

大手桝形北の
階段

大手桝形北の
階段

大手内桝形

大手土塀

大手曲輪東側

東南角土塁

南側土塁

東側土塁

大手門西側
南側土塁

松尾丸南下
南土塁
本丸

鐘楼石垣

鐘楼と石垣

南側石垣と土塀

南側石垣と土塀
坂虎口

南側石垣と土塀

本丸・松尾丸間
の本丸大手道

本丸大手門
二之門跡

本丸大手門
一之門跡

本丸大手門
一之門跡

本丸坂虎口

本丸坂虎口

本丸跡

中世城郭部
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