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| 所在地 | 三重県亀山市本丸町 |
| 交通機関 | JR関西線 亀山駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 粉蝶城 |
| 略 歴 |
天正18(1590)年、伊勢松ヶ島城主蒲生氏郷が会津に転封になると、岡本良勝が亀山に入封した。 良勝は若山城から現在の地に居城を移し、亀山城を築城した。 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦では、良勝は西軍に味方したため自刃、関一政が入封した。 慶長16(1611)年、一政は伯耆黒坂5万石に転封となり、替って松平(奥平)忠明が三河作手城から5万石で入封した。 元和元(1615)年、忠明は大阪の陣で荒廃した摂津大坂城10万石に転封し、亀山は天領となった。 元和6(1620)年、三宅康信が三河挙母城から入城した。 寛永13(1636)年、三宅氏は2代康盛の時に再び三河挙母城に転封となり、替って三河西尾城から本多俊次が入城した。 慶安4(1651)年、俊次は近江膳所城に加増・転封し、入替りで近江膳所城から石川憲之が入封した。石川氏の治世は短く、寛文9(1669)年には山城淀城に加増・転封となった。 替って板倉重常が下総関宿城が5万石で入封した。 板倉氏は3代に渡って亀山を治め、重治の時、宝永7(1710)年に志摩鳥羽城に移封となった。 入替りで志摩鳥羽城から松平乗邑が入城した。乗邑は7年後の享保2(1717)年に山城淀城に転封となった。 亀山城には志摩鳥羽城から板倉重冬が再入封した。板倉氏は延享元(1744)年、2代勝澄に時に備中松山城の石川総慶と入替えとなった。 以後石川氏11代120年に渡って亀山を治めて明治維新を迎えることとなった。 |
| 現 況 |
現在城址本丸天守台付近のみが残されているのみで、城址遺構は大方破壊されてしまった。 天守は堀尾吉晴に誤って解体されて以来再建されず、その後建てられた多聞櫓が、現存建物として唯一そのままの姿で残されている。 また、二之丸御殿玄関が遍照寺本堂として移築されている。 近年周辺で発掘作業も進んでおり、発見された石坂門の根石が歴史博物館前に移設されている。 |
![]() 亀山城址碑 |
![]() 多聞櫓 |
![]() 多聞櫓 |
![]() 二之丸御殿跡 |
![]() 二之丸御殿 見取図 |
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![]() 二之丸御殿跡 |
![]() 本丸楠門跡 |
![]() 本丸天守台 と多聞櫓 |
![]() 本丸天守台 |
![]() 本丸北面土塁 と水濠 |
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![]() 本丸 |
![]() 三重櫓跡 |
![]() 本丸西門外 竪堀 |
![]() 本丸西門跡 |
![]() 西出丸関見櫓跡 |
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![]() 西出丸土塁 |
![]() 石坂門跡 |
![]() 石坂門根石 |
![]() 太鼓門跡 |
![]() 東三之丸 |
![]() 大手門跡 |
![]() 大手掘発掘 現場 |
![]() 江ヶ室門跡と 神戸櫓跡 |
![]() 二之丸御殿 (遍照寺本堂) |
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