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| 所在地 | 三重県松阪市殿町 |
| 交通機関 | 近鉄名古屋線 松阪駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | 四五日城 |
| 略 歴 |
元亀の頃に潮長政が砦を築いたのがその始まりであるが、近世城郭として整備したのは蒲生氏郷である。 天正12(1584)年、氏郷は伊勢松ヶ島城主として入城したが、手狭で不便であったため新たに四五百森に築城を開始した。これが現在壮大な石垣が残されている松阪城である。 天正18(1590)年、小田原の役が終わると、奥州の伊達氏の目付的な役割を担って、氏郷は陸奥黒川城へ転封となった。 この時、氏郷は京の都から程遠い黒川への転封を命ぜられ涙したと言われている。 その後、松阪城には服部一忠が抜擢されて3万5千石で入城した。しかし、一忠は豊臣秀次事件に連座して改易となり、文禄4(1595)年に古田重勝が入城した。 元和5(1619)年、古田氏2代重治の時に石見浜田城へ移封された。 御三家紀州徳川頼家が和歌山城に入城すると、松阪は紀州藩領となって二之丸に置かれた陣屋の支配によって幕末まで続くこととなった。 |
| 現 況 |
現在城址主郭部には建物は残されていない。しかしながら、見事な石垣が残されている。 三之丸跡には市役所や病院などが置かれており、往時を偲ぶよすがもないが、裏門外に紀州家の城番たちが暮らした御城番屋敷が残されている。 ここには、現在でも人が暮らしており、その中の一家分が公開されている。 |
![]() 裏門跡 |
![]() 裏門虎口 |
![]() 御城番屋敷 |
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