帝國博物学協会
伊勢國
田丸城
 所在地 三重県度会郡玉城町田丸字城郭
 交通機関 近鉄伊勢線 田丸駅下車 徒歩10分
 別  名 玉丸城
 略  歴 南北朝期の延元元(1336)年、北畠親房によって築城された。
以後、北畠氏は国司として伊勢を治めた。後に本拠を北勢に移すと、北畠材親の三男具忠が田丸城に入り田丸氏と称した。
戦国期に入ると、北畠具教は隣国織田信長から侵略を受けることとなった。
永禄12(1569)年、織田信長の次男信雄が北畠氏の養子となり、北畠の名跡を継ぐと、養父具教を攻め北畠氏正統は絶えた。
信雄は大河内城を廃し、田丸城を改築して本拠とした。これが、現在残されている田丸城である。
天正8(1580)年、田丸城は火災によって焼失し、信雄は本拠を松ヶ島城へと移って行った。
織田信雄が改易となり、天正12(1584)年に蒲生氏郷が松ヶ島に入封すると、家臣田丸直意が苗字の地の田丸城に入った。
蒲生氏が奥州会津に転封となると、田丸直意も磐城三春城に移り、田丸城は岩出城主牧村利貞預りとなり、利貞の父稲葉重通が城代として入城している。
元和元(1615)年、稲葉氏が摂津中島に転封となると、代わって津藤堂藩の預かりとなり、加納氏が代官として入城した。
元和5(1619)年、御三家として紀州徳川頼家が和歌山城に入城すると、田丸は紀州領となって家老久野宗成が入城、以後幕末まで続くこととなった。
 現  況 現在城址主郭部には建物は残されていない。しかしながら、見事な石垣が残されている。
主郭部は連郭式縄張となっており、本丸には天守台が残されている。天守台は、織田系城郭天守初期の形態である穴蔵を持つ形態である。
三之丸御殿跡には田丸中学校が建てられており、遺構は残されていないが、大手口の石垣や水濠だけではなく、移築された富士見門などの建物遺構も残されている。

大手側水濠

水濠と大手虎口

大手門跡

大手北側水濠

大手口脇石垣

内堀

二之門虎口

二之門付近
北側土塁

二之門全景

二之門跡

番所跡

二之門脇石垣

空掘

蓮池跡

富士見門

主郭部石塁

腰曲輪虎口

腰曲輪石垣

腰曲輪虎口

腰曲輪虎口

北之丸石垣

本丸下大手口

本丸下大手口
石垣

本丸下大手口
石垣

本丸下大手口
石垣

北之丸虎口

北之丸

北之丸北側
空堀

本丸石垣

本丸石垣と
腰曲輪

本丸虎口

本丸虎口脇
石垣

本丸腰曲輪

本丸

天守台

天守台石蔵

天守台より
本丸を望む

天守付櫓台

本丸櫓台

本丸−二之丸
間の虎口

二之丸石垣

本丸−二之丸
間の虎口

本丸石垣

二之丸

富士見台

富士見台石垣

二之丸虎口

二之丸搦手口

本丸石垣遠望

三之丸

二之丸石垣遠望

本丸北側空掘

本丸西側石垣

本丸石垣水抜

本丸南側石垣

二之丸西側石垣

本丸石垣犬走

二之丸南側石垣

二之丸南側石垣

田丸城案内標

南側水濠

南側水濠

御鳥見屋敷跡碑
Top