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| 所在地 | 福島県東白河郡棚倉町大字棚倉字風呂ヶ沢 |
| 交通機関 |
JR水郡線 磐城棚倉駅下車 JRバス関東 公園下下車 徒歩15分 JR東北新幹線 新白河駅下車 JRバス関東 白棚線 公園下下車 徒歩15分 |
別 名 | - |
| 略 歴 |
赤館の地は、鎌倉期には伊達氏の飛地領であった。 赤館がいつ頃築城されたのかはわからないが、建武年間(1334〜1337)には伊賀次郎が赤館氏を名乗って居城していたことから、赤館氏によって築かれたのかもしれない。 赤館氏が居城を構えていたこの、頃は白河結城氏の勢力が伸張し、この地方に及んできた時期でもあった。 永正10(1510)年、常陸の佐竹氏の勢力が侵攻し、赤館以南の城館を支配下に入れている。 元亀2(1571)年、白河義親は赤館の奪回のために兵を進め、南郷付近で大激戦となった。佐竹方は南からの北条氏の圧迫が熾烈を極めていたため、白河結城氏との戦いに利がないと見ると、白河結城氏と和睦して赤館からの撤退した。 天正3(1575)年、佐竹氏は再び赤館に侵攻した。この時白河氏は葦名氏と共同で戦線を維持し、佐竹氏を撃退した。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の奥州仕置きで、小田原の陣に参陣しなかった白河氏は改易になり、赤館は佐竹氏の支配下に正式に組み込まれた。 慶長5(1600)年、関ヶ原合戦で徳川家康が天下を取ると、関ヶ原合戦に態度をあきらかにしなかった佐竹氏は、出羽秋田城に転封となり、赤館は天領となった。 慶長14(1609)年、立花宗茂が5万石で入封、元和6(1620)年には、旧領の筑後柳河城に10万9,200石で転封した。 元和8(1622)年、常陸江戸崎城から丹羽長重が5万石で入封した。長重は南方の平地に新城棚倉城を築城、赤館は廃城となった。 |
| 現 況 |
現在本丸跡まで車で登ることができるようになっており、赤館公園として整備されている。 最高所が本丸となっており、その北面には土塁が残されている。また、櫓台と思しき高台が残されている。 本丸周囲には腰曲輪が廻っており、そこから支尾根に階段状に曲輪が配されている。 南方の支尾根の曲輪跡にはホテルや民家の倉庫らしきものが建っている。一方北面の支尾根の曲輪は特に手を加えられている様子はない。 |
![]() 本丸切岸 (東北面) |
![]() 竪堀 |
![]() 竪堀と腰曲輪 |
![]() 南腰曲輪 |
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