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| 所在地 | 福島県東白河郡棚倉町棚倉 |
| 交通機関 |
JR水郡線 磐城棚倉駅下車 JRバス関東 公園下下車 徒歩15分 JR東北新幹線 新白河駅下車 JRバス関東 白棚線 磐城棚倉下車 徒歩10分 |
別 名 | 亀ヶ城 |
| 略 歴 |
棚倉城は、寛永元(1624)年、幕府の命によって丹羽長重によって築城された。 それまで、この地方を治める領主は、山城である赤館を居城としていた。 元和8(1622)年、この地に5万石で入封した長重もまた赤館に入城したが、手狭であったため、近津明神を移して、その跡に築城を開始した。 寛永4(1627)年、長重は10万石で陸奥白河小峰城に転封となり、内藤信照が入封した。 宝永2(1705)年、内藤氏3代藩主弌信は、駿河田中城に転封となり、入替わりで田中城から太田資直が入城した。 享保13(1728)年、資直は若年寄とばり、より江戸に近い上野館林城に転封した。 入替わりで松平(越智)武元が入城したが、幕閣での昇進と共に、延享3(1746)年には再び上野館林城に転封した。 替わって遠江掛川城から小笠原長恭が入城した。小笠原氏は3代に渡って棚倉を領した。 文化14(1817)年、小笠原氏3代長昌の時に、肥前唐津城に転封し、遠江浜松城から井上正甫が入封した。 この転封は正甫の素行の悪さによるものであったと伝えられている。 天保7(1836)年、石見浜田城の松平(松井)康任が仙石騒動で隠居を命じられ、嫡男の康爵が棚倉に左遷される事となり、2代正春は上野館林城に転封した。 松平氏は4代康英に及び、慶応2(1866)年、武蔵川越城へ転封となり、阿部正静が陸奥白河小峰城から入城した。 慶応4(1868)年、奥羽列藩同盟に参加した棚倉藩は、白河小峰城で破れると帰藩した。しかしながら、官軍は棚倉城を総攻撃、6月24日には落城している。 この戦いによって、棚倉城は灰燼と帰した。 |
| 現 況 |
本丸の土塁・水濠がほぼ完璧な形状で残されている。かつて櫓や門が建っていた場所には、町によってそれを示す標柱が建てられている。 本丸の南北には桝形が往時のまま残されている。 二之丸・三之丸は市街地化しており、既に往時を想像する事ができない。 |
![]() 三之丸(林曲輪)跡 |
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