帝國博物学協会
伊豫國
今治城
 所在地 愛媛県今治市通町
 交通機関 JR予讃線 今治駅下車 徒歩20分
 別  名 吹揚城・吹上城
 略  歴 慶長5(1600)年、関ヶ原合戦で功を上げた伊予宇和島城主藤堂高虎は、伊予20万石の太守となり、国府山城に入城した。
高虎は山城の
国府山城を嫌い、伊予のほぼ中央の今治に新城を築城した。
新城は慶長7(1602)年に築城を開始し、慶長13(1608)年には完成を遂げる。
豊臣・徳川の間で風雲急を告げる状況にあって、高虎は自ら望んで伊賀上野城へ転封、今治城の上屋は解体され伊賀上野へ運び去られ、天守は幕府に献上されて、丹波亀山城の天守となった。
高虎が移った後も、今治城は飛び地として残されたため、養子の藤堂高吉が今治城主となった。
寛永12(1635)年、高吉は伊勢名張陣屋へ転封となり、今治には伊勢長島城より松平(久松)定房が3万石で入封した。
藤堂高虎が20万石を持って築いた城を3万石の城主が維持するのは容易ではなかったと言われている。
松平氏は260年に渡って代々今治城を居城とし、10代定法の時に明治維新を迎えた。
 現  況 現在城址は中掘・外堀は埋め立てられたものの、内堀内が吹揚公園となり、本丸・二之丸のみが残っている。
近年場所も形も異なった模擬天守が建築され、それとともに、二之丸の隅櫓・門等が復元されている。
天守のみが真実と異なっているのは非常に残念なことである。
2010年2月28日追加
平成19(2007)年9月に、鉄御門一の門(二之門は復元されず)と虎口石垣、鉄御門に続く多聞櫓が復元された。
2010年2月28日追加    
外郭     今治城は日本三大水城と呼ばれており、海に面しているのが特徴であったが、現在でも内堀は船溜り跡の今治港と繋がっている。
現在外郭の堀は埋め立てられて失われているが、有津屋川のラインからほぼ同感覚の位置にある道路が堀跡であったと考えられる。

有津屋川

有津屋公園

有津屋川

有津屋川越しに
鉄御門を望む

有津屋川

有津屋川

今治港
(船溜り跡)

今治港
(船溜り跡)
二之丸     二之丸にはかつて藩主の御殿が建てられていた。
現在は吹揚公園として市民の憩いの場となっており、山里櫓・武具櫓・御金櫓・山里門・鉄御門及び続き多聞櫓などが復元されている。
鉄御門正面石垣には、嘗て石だけが残されていた勘兵衛石が多聞櫓の虎口石垣にしっかりと復元されている。
※勘兵衛とは、藤堂高虎の家臣で今治城の普請奉行を務めた、渡辺官兵衛了のことである。

左から御金櫓・
鉄御門・武具櫓
山里櫓

鉄御門・武具櫓

鉄御門

御金櫓

左から御金櫓・
鉄御門・武具櫓

左から御金櫓・
鉄御門・武具櫓

御金櫓

御金櫓

鉄御門続多聞と
武具櫓

鉄御門

鉄御門

官兵衛石と
多聞櫓

多聞櫓

犬走りへの階段

鉄御門

武具櫓と多聞櫓

多聞櫓

虎口多聞櫓

二之丸跡

多聞櫓跡と
鉄御門虎口多聞

御金櫓

御金櫓

多聞櫓跡相坂

御金櫓

多聞櫓跡

藤堂高虎銅像

二之丸跡

多聞櫓跡の土塀

山里櫓

山里櫓

山里門と山里櫓

山里門と山里櫓
2001年10月04日掲載分    

今治城址碑

武具櫓

二之丸跡

手前から御金櫓
鉄御門・武具櫓

御金櫓

勘兵衛石

二之丸多門櫓跡
への階段

二之丸
多門櫓跡

犬走りへの階段

鉄御門跡

本丸
Top