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| 所在地 | 愛媛県四国中央市川之江町 |
| 交通機関 | JR予讃線 川之江駅下車 徒歩5分 |
| 別 名 | 一柳陣屋・一柳直家公陣屋 |
| 略 歴 |
一柳直家は、伊予西条藩主となった一柳監物直盛の次男で、父直盛が寛永13(1636)年、父直盛が大阪の陣の戦功から68,600石の西条藩主となった時、播磨加東郡内で5,000石を分与された。 同年、父の死後、伊予宇摩郡13,600石、播磨加東郡5,000石を分地され、28,600石の大名となった。 直家は、川之江の地に陣屋を築き政庁とした。 寛永14(1637)年、播磨加東郡の代官所を陣屋とし、藩主以下家臣が移住したことにより、陣屋は縮小される事となる。 直家には男子が無かったため、寛永19(1642)年、直家が没するにあたり、但馬出石藩主小出吉親の次男直次を女婿に迎えて家を継がせようとしたが、末期養子とされ、伊予国内の18,600石を没収された。 その後、この地は一時伊予松山藩の支配下に置かれた。 |
| 現 況 |
陣屋址は川之江の中心地で、往時は33,000u以上の敷地を誇りっていたというが、現在ではそれを示す碑が立つのみで、遺構は残されていない。 川之江八幡神社に、陣屋の門が移築保存されている。 |
![]() 陣屋址碑 |
![]() 陣屋址碑 |
![]() 陣屋址碑 |
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2010/02/07加筆 |
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この陣屋門は一柳直家が川之江藩(28600石)の藩主となっていた寛永13(1636)年から寛永19(1642)年の間の、川之江陣屋の表門である。 寛永19年、直家は急病にかかって江戸で死去、後嗣がなかったため伊予領が没収、陣屋は解体されて表門は宝積寺に移築された。 |
![]() 川之江陣屋門 |
![]() 川之江陣屋門 |
![]() 川之江陣屋門 |
![]() 川之江陣屋門 |
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