帝國博物学協会
伊豫國
松山城
 所在地 愛媛県松山市丸之内
 交通機関 JR松山駅下車 伊予鉄大街道駅下車 徒歩10分 ロープウエイまたはリフト
 別  名 金亀城/勝山城
 略  歴 慶長7(1602)年、伊予松前城主であった加藤嘉明によって築城が開始された。
当時勝山と呼ばれた山頂部に本丸を置き、山下に二之丸・三之丸を置いた、典型的な山城である。
松山城近くには、かつて河野氏が居城を構えた湯築城があったが、嘉明はあえて勝山の地に築城した。これは、大砲の射程内に本城が入るのを嫌ったためと考えられる。 伊達政宗が仙台城を山城としたのと同様な理由と考えられる。
城普請には26年の歳月がかかり、加藤氏は完成を見ることなく会津へ加増・転封となり、代わって蒲生忠知が入封し、城を完成させた。 蒲生家は、五層の天守を「地盤が弱いため」との理由で三層に改めた。松山城の普請に自信を持っていた加藤家は、これを聞いて調査のために人を派遣したと伝えられている。 実際には幕府に遠慮したことが判明し、面目を施したと言われている。 蒲生家断絶後、寛永12(1635)年、松平(久松)定行が伊勢桑名城から入封し、以後明治維新までその治世が続いた。 その間、天明4年(1784年)落雷で天守を焼失したりしているが、明治維新以降にも度重なる火災や戦災で、多くの建造物を失っている。
 現  況 城址は山上部と山麓部に分けられる。現在では、山上部へは、ロープウエイなどで登ることができる。
山上部の本丸には、多くの現存・再建建物が建ち並んでおり、特に天守群は姫路城と並ぶ連立天守群を構成している。
山麓部の二之丸には、二之丸御殿の周辺建物などが復元され、二之丸史跡庭園として公開されている。
三之丸には、野球場などが建設されているため、往時を偲ぶことはできないが、周囲の水濠は良好な状態で残されている。
    2007/11/25加筆
三之丸の野球場や病院などの、公共施設が取り払われており、整備工事中であった。
二之丸からの登り石垣が綺麗に整備されて、ほぼその全貌を見ることができるようになった。
三之丸 松山藩の重要な役所が置かれていた。現在でいう官公庁街となっていた。
2007/11/25加筆
現在は、愛媛県の文化施設が置かれているほか、野球場・病院などは移転して整備中である。

三之丸東面水濠

三之丸南面水濠

三之丸西面水濠
2007/11/25追加

三之丸東御門跡

三之丸東御門跡
石垣

三之丸東御門内
土塁

三之丸東面水濠

三之丸東側折れ
土塁と水濠

三之丸南東角
土塁と水濠

三之丸西水濠
と勝山

三之丸南面
土塁と水濠

三之丸南面
水濠

三之丸南側入口
(往時はない)

三之丸南西側
水濠

三之丸南面
土塁と水濠

三之丸南面水濠

三之丸東面水濠

三之丸西面水濠

三之丸西南角
土塁と水濠

三之丸西面
土塁と水濠

三之丸から山城
天守を望む

三之丸西入口
(往時はない)

三之丸西面水濠

三之丸西面
土塁と水濠

三之丸西北角
土塁と水濠

三之丸西面
土塁と水濠

三之丸北面水濠

三之丸西面水濠

札之辻石碑

三之丸北御門跡
と土橋

三之丸北西面
土塁と水濠

三之丸北御門跡

二之丸
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