帝國博物学協会
紀伊國
弥勒寺山城
 所在地 和歌山県和歌山市秋葉町(秋葉山公園)
 交通機関 JR紀勢本線・阪和線 和歌山駅下車 和歌山バス 秋葉山下車 徒歩10分
 別  名 -
 略  歴 弥勒寺山には、天文19(1550)年に黒江から本願寺紀州御坊がこの地に移転し、弥勒寺が置かれて、紀州での浄土真宗本願寺派の布教拠点となっていた 。
天正5(1577)年、石山本願寺に味方していた雑賀衆攻撃のため、織田信長が紀州に兵を進めた。
雑賀衆は弥勒寺山城を本陣とし、東禅寺山城・上下砦・宇須山砦・中津城・甲崎砦・玉津島砦・布引浜の砦などの支塞を築いて防衛線を構築した。
織田軍は北方の中野城を攻略して本陣とすると、太田城の太田党を先陣として、雑賀衆の籠る弥勒寺山城に迫った。
弥勒寺山城の、主将雑賀孫一(鈴木重秀と言われる)は、鉄砲隊を駆使して信長に対抗したが、中野城の陥落で戦意を喪失し、雑賀孫一ら7名連署の誓紙を差し出して降伏した。
その後も、弥勒寺は真宗布教の拠点であったが、顕如の石山本願寺退去に伴って鷺森本願寺が本願寺派の本山になるに及んで、弥勒寺は廃された。
 現  況 弥勒寺山城址は、現在は秋葉山公園となっている。
主郭には展望台が設けられており、ここからは和歌山城をはじめ和歌浦や紀三井寺までも見渡す事ができ、往時の要衝であった事が実感できる。
城は主郭を最西端に二曲輪・三曲輪と東に連郭式に曲輪が配されており、ニ曲輪北東側にある顕如上人の碑がある場所は、土塁であったと考えてよいであろう。
三曲輪は現在梅園となっているが、その南側には腰曲輪らしい段々の遺構も残されている。

弥勒寺山石柱

弥勒寺山城主郭

主郭と二郭

主郭と展望台

主郭と二郭段差

主郭切岸

ニ郭

ニ郭土塁

ニ郭土塁

顕如上人東錫地

ニ郭土塁

虎口?

三郭

三郭切岸

三郭切岸

腰郭

腰郭

弥勒寺山城遠望
Top