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| 所在地 | 和歌山県和歌山市中野 |
| 交通機関 | 南海加太線 東松江駅下車 徒歩15分 |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
築城時期は不明であるが、貴志教信が居城していたと伝えられる。 この地は孝子峠越えと大川峠越えの道が交差する要衝に位置していた。 貴志氏は平安の頃から貴志荘を領しており、南北朝・室町期・戦国期と乱世を潜り抜けてきた。 天正5(1577)年、石山本願寺に味方していた雑賀衆攻撃のため、織田信長が紀州に兵を進めた。 雑賀衆は紀州の入口にあたる中野城に兵を入れて、織田軍の攻撃に備えた。 織田軍は孝子峠を越えて南下し、2月には中野城に迫った。雑賀衆は徹底抗戦を図ったが、衆寡敵せず28日に開城に至った。 織田軍は中野城を本陣として、弥勒寺山城に籠る雑賀衆攻撃を続けた。 |
| 現 況 |
中野城址は、和歌山パームシティ裏の民家敷地となっている。 西側の石塁がよく残されており、土塀もあってそれなりの雰囲気がある。 石垣の西側はかつて堀の跡があったようであるが、現在は水田になっている。 |
![]() 西側堀跡の水田 |
![]() 西側石垣 |
![]() 西側石垣 |
![]() 西側石垣 |
![]() 西北角石垣 |
![]() 西北角石垣 |
![]() 西北角石垣 |
![]() 北側石垣 |
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