帝國博物学協会
紀伊國
根来寺
 所在地 和歌山県岩出市根来
 交通機関 JR紀勢本線 岩出駅下車 和歌山バス 根来下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 大治5(1130)年、高野山で修行した興教大師覚鑁が高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことが根来寺の始まりである。
興教大師に帰依した鳥羽上皇は、荘園を寄進するなど伝法院を手厚く保護したが、長承3(1134)年に興教大師が金剛峯寺座主に就いて、高野山の立て直しに着手すると、これに反対する勢力と対立する事となった。
保延6(1140)年、興教大師の住んだ密厳院を含む覚鑁派の寺院が、反対勢力によって焼き討ちされる事件が発生したため、興教大師派は高野山を下り、弘田荘豊福寺を拠点として,新義真言宗を樹立した。
更に円明寺を建立して、根来寺が成立した。
正応元(1288)年、大伝法院の学頭、頼瑜が大伝法院の寺籍を根来に移した。
室町末期には、根来寺は一大宗教都市を形成し、寺領72万石、僧兵1万余を誇る軍事集団根来衆を擁して、紀州に勢力を張っていた。
根来衆は種子島から伝来した鉄砲を主力兵器として、時には石山本願寺に助力して織田信長に対抗するなど、武力と宗教によって紀州に勢力圏を持つに至った。
天正13(1585)年、豊臣秀吉は、小牧長久手の戦いで信雄・家康方に与した根来寺を攻撃・焼討ちにした。
秀吉は大師堂、大塔などを残して多くの僧坊を焼討ちし、更に火災に焼け残った大伝法院を解体して持ち去る事によって、根来寺が秀吉の軍門に降った事を示し、以後根来寺の勢力は衰えた。
 現  況 根来寺は、往時のように多くの僧坊を構えてはいないが、本坊と呼ばれる湊御殿・名草御殿・別院を中心に、江戸期に紀州和歌山藩の庇護によって建築された建物が残されている。
大門・僧坊

大門池

大門池

蓮華谷川
(外掘)

蓮華谷川
(外掘)

大門橋

蓮華谷川
(外掘)

大門

大門

大門

愛染院

蓮華院

蓮華院土塀

鳥羽上皇
御駐輦所標柱

円明寺参道

三部権現

三部権現西の
寺跡地

庭園池

円明寺

律乗院

律乗院

旧御廟所

旧御廟所

石垣壇

一乗閣

一乗閣

不動堂

不動堂

本坊
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