帝國博物学協会
上野國
細谷館
 所在地 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚字坪内
 交通機関 東武伊勢崎線 館林駅下車 つつじ観光バス 篠塚稲荷神社下車 徒歩5分
 別  名 右馬助館
 略  歴 細谷氏は、新田義貞曽祖父新田政氏の子、国氏が細谷氏を名乗ったのを始祖とする。
その孫秀国は、新田義貞の挙兵から従い、南朝方として各地を転戦した。
延元元(1336)年、義貞が恒良親王を立てて、後醍醐天皇と別れて叡山を下り、北陸に向かった際にも従っている。
延元3(1338)年、越前黒丸城の斯波高経を攻撃したが攻めきれず、義貞が越前の地で討死するとその消息は失なわれた。
伝承によると、その後秀国は、正平2(1347)年、新田郷に近いこの地に館を築造し、居館したとされている。
細谷氏はその後9代に渡って、この地の土豪として生き延びた。
戦国期には、館林城の長尾氏の支配下にあったものと思われる。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原侵攻によって、関東の諸勢力が滅亡すると、9代義長は武士を捨て帰農した。
 現  況 館址の北と東側には中世土豪の方形館の遺構が良く残されている。
門前の遺構は特に良好で、往時は塀が左右から門前に横矢を掛ける状態になっている。
門遺構に案内板が立てられているが、館内は民有地であり、民家が建っているため、見学には注意が必要である。

館址西南側
空堀遺構

館址南側空掘

館址南側空掘

東南側空掘

東南側空掘

門跡

門南側折

門北側折

東側空掘

東側空掘

東側空掘

北東角土塁
と空掘

北側空掘

北側空掘

北側空掘

北側空掘

北側土塁と空掘

北側土塁と空掘

北側土塁と空掘

館址北側遠望
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