帝國博物学協会
上野國
岩松陣屋
 所在地 群馬県太田市世良田町1527
 交通機関 東武伊勢崎線 世良田駅下車 徒歩10分
 別  名 世良田陣屋
 略  歴 岩松氏は、太田金山城の城主として、室町以来力を保持してきた。
享禄2(1529)年、力を付けて専横な振舞いが多くなっていた重臣横瀬泰繁を、14代岩松昌純が討伐しようとして却って攻められて自刃するという事件が発生した。
泰繁は15代として昌純の子氏純を担ぎ出したが、実権は泰繁に奪われたままだったため、天文17(1548)年、氏純も自刃した。
泰繁は、16代として氏純の子守純を擁立したが、泰繁の子、(由良)成繁によってその地位を奪われた。
天正18(1590)年、小田原北條氏が滅び、徳川家康が関東の地に封ぜられると、新田氏の一族得川氏の後裔を称する家康に召し出された。
その際家康は、新田氏から続く岩松氏に系図を売るよう迫ったが、守純が頑として応じなかった。
家康は新田宗家としての家格として交代寄合(準大名)としたが、禄としては20石の捨扶持しか与えられず、新田氏を名乗る事を禁じられたとされる。
守純は大規模な陣屋を構えるだけの資金力もないため、世良田今井城の一郭に小規模な陣屋を築いた。
岩松氏はその後寛文3(1663)年に100石加増され、下田島城跡に新たに陣屋を築いて移った。
 現  況 陣屋址は民家となっているが、周囲の水濠が良好な状態で残されている。

岩松陣屋水濠
(南西面)

岩松陣屋水濠
(南面)

岩松陣屋空掘
(東面)

岩松陣屋空掘
(北面)
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