帝國博物学協会
上野國
倉賀野城
 所在地 群馬県高崎市倉賀野町
 交通機関 JR高崎線倉賀野駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 武蔵児玉党の一派、上杉憲政幕下の重鎮倉賀野氏の居城である。
城主倉賀野行政は川越夜戦で討死、幼少の主君を倉賀野16騎と呼ばれる家臣が盛り立てた。
永禄3(1560)年、城主倉賀野尚行は上杉謙信の関東進出に従い、北条氏に対した。そのため、北条氏からの攻撃を受けたがこれを撃退。
永禄8(1565)年、倉賀野城は遂に武田信玄により落城、城主尚行は謙信の下に逃れた。
信玄は大熊伊賀守を入れて倉賀野城を守らせたが、信玄亡き後、武田勝頼は、元亀元(1570)年、倉賀野16騎の内で信玄に従った金井秀景を城主として入れた。
秀景は姓を旧主の倉賀野に改めた。
天正10(1582)年、武田氏が滅ぶと、代わって進駐した織田家臣の滝川一益に従ったが、その信長が本能寺で憤死するとその隙を衝いて北条氏が北上、神流川で滝川一益を打ち破ると、上野を支配下に組み込んだ。
北条氏は倉賀野城に垪和伯耆守を入れ守らせた。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原の陣後、廃城となった。
 現  況 城址は烏川河畔の台地上にあった。本丸跡に倉賀野城址碑が建っているほかは住宅地になってしまっており、遺構らしきものを見ることができない。
井戸八幡付近に高低差が残されており、これが往時の土塁址と思われる。(井戸八幡の説明には三之丸とあるが、二之丸の誤りのようである)

倉賀野城址碑

本丸跡

本丸切岸

烏川と崖

本丸跡遠望

二之丸井戸八幡

井戸八幡
周囲の土塁

井戸八幡
周囲の土塁

二之丸井戸八幡
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