帝國博物学協会
上野國
世良田館
 所在地 群馬県太田市世良田町3122
 交通機関 東武伊勢崎線 世良田駅下車 徒歩20分
 別  名 -
 略  歴 世良田館の創築年代は不明である。新田義重の4男義季が世良田郷を譲られて地頭となっており、その頃に成立したのではないかと考えられる。
義季の嫡子頼氏に世良田郷を、長庶子の頼有には得川郷を譲り、頼氏は世良田弥四郎を称して世良田氏が発祥した。
頼氏は将軍の近習として幕府に出仕し、三河守に任官するなど力を得ることとなったが、文永9(1272)年、北条時輔が謀叛を企てたとする事件に連座して失脚し、佐渡に流された。
世良田氏はこの事件によって、幕府の一御家人に没落した。
新田義貞が後醍醐天皇の激を受けて鎌倉に攻め上った際には、世良田満義が従っているので、この頃までは館は存在したと思われる。
その後、義貞が南朝側に与するのに満義も従っているので、その後いつ頃まで存続したかは不明である。
 現  況 世良田館は、新田館(総持寺)から数百メートルの位置にあり、現在は新田庄歴史公園内に堀跡が発掘されている。

世良田館址
案内板

南側空堀

西側空堀

館跡付近

館跡付近

世良田館址
案内板

南側空堀

西側空堀

館跡付近
子方明神 世良田館の西側の円墳上に子方明神と呼ばれる祠があり、新田義興が祭神とされている。
総持寺の旧寺域に接して父方神社・母方神社と呼ばれた社があったが、明治初年八坂神社に合祀された。祭神は新田義貞と夫人であった。
義興はその次子で、南北朝期に活躍した南朝方の武将である。

子方明神
世良田東照宮 世良田東照宮は、徳川氏発祥の地とされる世良田館跡に寛永16(1639)年、三代将軍家光が日光東照宮奥社を移築し、更に本殿を新築して東照宮を勧請した。
寛永21(1644)年10月11日に正遷宮が斎行され、江戸時代を通じて幕府から手厚い保護を受けていた。
なお、世良田東照宮は久能山東照宮と日光東照宮を結んだ線上にある。

新田義貞像

普光庵跡

南御門跡

本地塔跡

真言院井戸

御黒門

拝殿

拝殿裏側

唐門

唐門裏側

本殿

本殿南側の
空掘

本殿南側の
空掘
長楽寺 承久3(1221)年、新田義重の子、得川義季が臨済宗開祖栄西の高弟栄朝を招いて創建したのが長楽寺である。
寛永16(1639)年、徳川家康の命で天海大僧正によって天台宗に改宗された。
江戸時代を通じて徳川幕府から手厚く保護された。

山門

渡月橋

心字池

心字池

三仏堂

太鼓門


得川義季墓所

得川義季墓所

奥の院

北側空堀
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