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| 所在地 | 群馬県太田市下田島町 |
| 交通機関 | 東武伊勢崎線 木崎駅下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 岩松陣屋・岩松城 |
| 略 歴 |
仁和3(1188)年の新田義重置文に「丁ふくし」の館の記述があり、これが下田島城のことと想定される。 その後、下田島城がいつ頃に成立したかは不明であるが、平安末には築城されていたと考えられる。 城の規模が小さく相横矢を避ける構造であることから、現在残されている遺構が、鉄砲が戦に使用された戦国後期に成立したと考えられる。 寛文3(1663)年、100石を加増された岩松守純は、岩松陣屋からこの地に陣屋を移した。 岩松氏29代俊純の時に明治維新を迎えたが、慶応3(1867)年、幕臣でありながら俊純は逸早く新田勤王党を組織して挙兵、官軍として戊辰戦争に参戦した。 俊純は新田姓に復するとともに、紆余曲折はあったが新田氏嫡流として新政府から認められ、男爵を授けられて華族となった。 |
| 現 況 |
下田島城は、昭和35(1960)年に尾島女子高校(現太田フレックス高校)の敷地として提供され、「新田の杜」とトチノキ部分の堀と土塁を残して破壊された。 城の西北櫓台は古墳を利用しているものと判明したが、既に破壊されて遺構は残されていない。 西南の新田の杜も古墳を残されたと考えられており、ここにも櫓が建てられていたと考えられる。 |
![]() 新田の杜遠望 |
![]() 東側土塁 |
![]() 南側虎口付近 |
![]() 南側虎口付近 |
![]() 南西側土塁 |
![]() 新田の杜 |
![]() 西側土塁 |
![]() 西側土塁 |
![]() 南西櫓台 |
![]() 岩松城案内板 |
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