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| 所在地 | 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚字馬場 |
| 交通機関 | 東武小泉線 篠塚駅下車 徒歩10分 |
| 別 名 | 篠塚城 |
| 略 歴 |
篠塚館は、太平記で怪力無双を誇る新田義貞の家人で四天王の一人と言われる、篠塚伊賀守重廣の居館址とされる。 この館は、元亨年(1321〜1324)間に築かれたと伝えられるが、明確にはわかっていない。 |
| 現 況 |
館址は楕円形の縄張りとなっており、中心部は住宅地や畑となっている。 南西側空から東北にかけて低い土塁が残されており、大手門と伝わる位置に源氏の尊崇する八幡社があり、そこに「篠塚城」の看板が立てられている。 南東側、毘沙門堂と呼ばれるお堂の背後に、高さ1.5m程度の土塁と、その外側に空掘の跡が残っている。 |
![]() 城址遠望 |
![]() 毘沙門堂 |
![]() 土塁と空掘 |
![]() 土塁 |
![]() 空掘 |
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![]() 空掘 |
![]() 空掘 |
![]() 東北側土塁 |
![]() 東北側土塁 |
![]() 八幡社 |
![]() 篠塚城址表示板 |
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| 所在地 | 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚 |
| 交通機関 | 東武小泉線 篠塚駅下車 徒歩5分 |
| 篠塚伊賀守重廣 |
篠塚伊賀守重廣は畠山重忠6代の子孫であり、新田義貞四天王の一人である。 元弘3(1333)年5月8日、新田義貞の生品明神旗上げに参加、義貞が北陸で戦死した後は、その弟脇屋義助に仕えた。 義助病没後、伊予に拠って足利方に抗戦、興国3(1342)年9月3日、足利方の大軍を迎え撃ち、伊賀守は5貫目の鉄棒を風車の如く振り回して奮戦した。 しかし、戦いに利あらず世田城は落城、伊賀守は逃れて敵船に乗り移り、「我こそは篠塚伊賀守なるぞ!」と大音声で名乗って足利方の兵は恐れて近寄らず、ただ一人帆柱を立て「この船を沖の島に向けよ」と命じると、高いびきで寝たという。 |
![]() 篠塚伊賀守墓 |
![]() 篠塚伊賀守墓 五輪塔 |
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