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| 所在地 | 群馬県太田市新田反町町要害896 |
| 交通機関 | 東武伊勢崎線 太田駅下車 シティライナーおおたバス 反町薬師入口下車 徒歩10分(土日祝祭日運休) |
| 別 名 | - |
| 略 歴 |
反町館は、新田氏8代小太郎義貞の時、それまで居館としていた台源氏館が手狭になってきたため、元徳年(1329-30)間に新たに築いて移ったとされている。 義貞は後醍醐天皇の綸旨に呼応して挙兵、執権北條得宗家を鎌倉に攻めて滅ぼし、その後足利尊氏と対立して各地を転戦したが、その間大舘氏明がこの館を守っていたと考えられている。 その後、義貞の子、新田義興が居館したとも言われている。 戦国期に入ると、金山城の由良氏の家臣、矢内時英が居城し、単郭の館から三重の堀を巡らせた城として整備されたと言われている。 その後、小田原北条氏が勢力を伸ばしてくると、北条氏邦が金山城の由良氏を攻略するための陣を進めた。 氏邦は反町館に本陣を置いて金山城を攻撃した。 この館が廃されたのは、天正18(1590)年に小田原北条氏が滅亡し、由良氏が金山城を退去した際であった。 |
| 現 況 |
反町館の主郭部分は、現在反町薬師(瑠璃山 妙光院 照明寺)になっており、国指定史跡「新田荘遺跡」に指定されている。 薬師の周囲には主郭の水濠が残されており、各方角に土塁も良く残されており、また西側には平虎口が残されている。 外郭部分については、その多くが失われているが、南側や西側に、土塁や堀跡が残されている。 |
| 主郭 |
![]() 左中将新田公 城址碑 |
![]() 主郭南西側土塁 |
| 外郭 |
![]() 南側の土塁 |
![]() 西側外郭の土塁 |
![]() 西側外郭の土塁 |
![]() 西側外郭の土塁 |
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