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| 所在地 | 群馬県高崎市高松町 |
| 交通機関 | JR高崎駅下車 徒歩15分 | 別 名 | 和田城 |
| 略 歴 |
徳川家康の関東入封に従った井伊直政は箕輪城に入城し、慶長3(1598)年、和田城の城地に新たに築城した。 慶長5(1600)年、関ヶ原合戦後の論功行賞で、直政は近江佐和山城に転封となった。替って下総臼井城から酒井家次が入城した。 元和2(1616)年、家次は越後高田城10万石に転封となり、松平(戸田)康長が常陸笠間城から入封したが、翌3年には信濃松本城7万石に転封となった。 替って常陸土浦城から松平(藤井)信吉が5万石で入封するが、これまた2年で丹波篠山城に転封となった。 元和5(1619)年、下総小見川陣屋から安藤重信が入封し、以後3代に渡って安藤氏が城主を務め、城の完成を見たという。 元禄8(1695)年、安藤氏は3代重博の時に備中松山城に転封となり、松平(大河内)輝貞が下野壬生城から入城した。 輝貞は宝永7(1710)年、越後村上城に転封となり、6代将軍家宣の側用人であった間部詮房が破格の出世で5万石の大名となって入城した。 享保2(1717)年、将軍代替わりによる左遷で、詮房が松平(大河内)輝貞と交替となり、輝貞が再封されて高崎城に入城した。 以後、10代に渡って治めて明治維新を迎える。 |
| 現 況 |
城址本丸・二之丸は、戦前の陸軍駐屯地になっている時に、完膚なきまでに破壊され、何の遺構も残されていない。 その一方、外郭線に当たる三之丸の土塁・水濠は非常に良好な状態で残されており、往時の高崎城の城域を知ることができる。 三之丸には、民間に払い下げられていた本丸乾櫓と東門が移築されており、往時の姿を水濠に映している。 |
![]() 三之丸水濠 と横矢張出土塁 |
![]() 三之丸東水濠 |
![]() 三之丸東水濠 |
![]() 三之丸南水濠 |
![]() 三之丸南水濠 |
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![]() 三之丸南土塁 |
![]() 三之丸東土塁 (三之丸内側) |
![]() 三之丸東土塁 (三之丸内側) |
![]() 三之丸東土塁 (三之丸内側) |
![]() 三之丸東土塁 (三之丸内側) |
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![]() 三之丸東水濠 |
![]() 本丸乾櫓 |
![]() 本丸乾櫓 |
![]() 東門 |
![]() 東門 |
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![]() 高崎城址碑 |
![]() 三之丸東水濠 |
![]() 三之丸北土塁 |
![]() 三之丸北水濠 |
![]() 三之丸北土塁 (三之丸内側) |
![]() 北門西側の 空掘と土塁 |
![]() 北門西側の 空掘と土塁 |
![]() 赤坂下門跡 付近土塁 |
![]() 榎郭付近土塁 |
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